長浜城外堀跡

長浜城外堀跡

羽柴秀吉(豊臣秀吉)が初めて城持ちとなり築いた長浜城は、別名「秀吉出世城」。縄張りや小谷城下から移した城下町の都市計画も秀吉らしさが感じられます。外堀くすのき通りは、長浜城のもっとも外を囲う長浜城外堀跡。琵琶湖に臨んだ本丸の内側に内堀(長浜湊)、その外側に内外堀、さらに外側に外外堀を配していたのです。

ここから西が長浜城の城内

内堀、内外堀、外外堀と三重に配した堀は、残念ながら市街化に伴いほとんどが埋められて現存していませんが、御旅所東側を南北に流れる水路とくすのき通りが外外堀の名残。
当時は幅が30mもあったのですがその面影はありません。
ここから西(琵琶湖側)が城内で、東に町人町を配していました。

小谷城を捨て、今浜(現在の長浜)に城を築くと決めた秀吉は、城下町を繁栄させるため、小谷城下から町人たちを移住させています。
伊部、郡上、呉服などの旧町名は小谷城下から移住した人々の名残の地名。
内外堀と外外堀の間には、鍛冶屋などが集まっていた「踏鞴町」(たたらまち)もありました。

琵琶湖の舟運を活かし、北国街道の要衝に位置し、関ヶ原(中山道)をも睨んだ長浜は、秀吉のその後の町づくりの原形になった地でもあるので、長浜散策の際には、そんな秀吉の町づくりの視点もぜひお見逃しなく。

長浜城外堀跡
名称長浜城外堀跡/ながはまじょうそとぼりあと
所在地滋賀県長浜市元浜町10地先ほか
電車・バスでJR北陸本線長浜駅から徒歩3分
ドライブで北陸自動車道長浜ICから約3.8km
駐車場お旅駐車場(34台/有料)、長浜駅東駐車場(168台/1時間まで無料、以降有料)など
問い合わせ長浜市観光振興課 TEL:0749-65-6521/FAX:0749-64-0396
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大通寺台所門

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長浜城歴史博物館

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