安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)

安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)

安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、前田利家邸跡を越えた右手が徳川家康邸跡。現在は摠見寺仮本堂となっています。織田信長が天正年間(1573年〜1592年)に甲賀から移したとされる寺です。

信長の盟友・徳川家康の屋敷が安土城内に!

安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)

百々橋口道上にあった摠見寺は安政元年(1854年)に落雷のために焼失し、その後、徳川家康邸跡に昭和7年、仮本堂が再建されているため、公開日以外は立ち入ることができません。

大手道は、徳川家康邸の前で西側(左手)に直角に屈曲し、さらに急な階段をジグザクに登り、織田信忠邸の前で摠見寺からの百々橋口道と黒金門(主郭入口)へ登る道に分かれています。

平成8年度の調査で、徳川家康邸から直接黒金門に至る道、さらに東に折れて二の丸、本丸南面の石垣下を通って三の丸から本丸に至る搦手側(からめてがわ=裏側)の道があったことが判明しています。

つまり、織田信長の築城した時代の登城道は、現在の道とは異なり、徳川家康邸あたりで三叉路となり、直接黒金門へと至るのが大手道だったのです。
江戸時代の貞享4年(1687年)以降に、現在の徳川家康邸、織田信忠邸を経て黒金門に至る道となったことがわかっています。

安土時代の織田信長と徳川家康の関係は!?

天正10年5月15日、徳川家康が武田討伐の礼と戦勝祝賀のために武田の降将・穴山信君(あなやまのぶただ=穴山梅雪、徳川家康の誘いに乗り信長に内応)を伴って織田信長を安土城に訪ねています。
その饗応役を命じられたのが明智光秀で、光秀は贅を尽くした宴を準備しますが信長はなぜか激怒。
羽柴秀吉の援軍として、中国への出立を命じられ、さらに丹波、山城、近江・坂本の所領を没収されてしまいます。
これで、明智光秀は主君・織田信長を討つことを決心し、半月後の本能寺の変につながり、穴山信君も京から戻る途中に一揆勢に討たれてしまいます。
家康は堺から信楽に抜け、甲賀衆の手助けで伊賀越を果たし、伊勢から三河へと海路逃げ延びています。
安土城内に屋敷を有した家康となれば臣下的な意味合いがありますが、信長の饗応を受けるという客人的な立場もあり、当時の徳川家康と織田信長の関係をもうかがい知ることができます。

安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)
名称安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)/あづちじょう とくがわいえやすていあと(そうけんじかりほんどう)
所在地滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
関連HP織田信長の安土城址と摠見寺公式ホームページ
電車・バスでJR琵琶湖線安土駅から徒歩25分
ドライブで名神高速道路蒲生スマートICから約11km。竜王IC、八日市ICから約14km
駐車場特別史跡安土城跡前駐車場(150台/有料)
問い合わせ安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、摠見寺仮本堂(徳川家康邸跡)の手前右手に位置するのが前田利家邸跡。正確な史料がないため、特別史跡安土城跡の名称としては「伝前田利家邸跡」となっています。前田利家がここで屋敷を構え、信長

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