「黄金の国 ジパング」のイメージが強い日本ですが、実は江戸時代初期、日本の銀生産量は、年間150~190tで世界の銀の3分の1を占めるほどの「銀の国」。「銀の国」を支えた銀山が日本三大銀山と通称される延沢銀山(山形県)、生野銀山(いくのぎんざん/兵庫県)、石見銀山(島根県)です。
西欧人は日本を「銀王国」と見なした!
室町時代、すでに朝鮮王国との貿易品として大量の銀が使われ(軍用品として需要があった綿布などと交換)、イエズス会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルもスペイン人が日本のことを「銀の島」と呼んでいると書き送っているほど、「銀の島 ジパング」だったのです。
さらに中国国内の銀需要の高まりで、石見銀山などで産出する銀が中国(明朝〜清朝)へと輸出されています。
日本から中国へ銀・金・銅・硫黄などの鉱物資源を輸出し、中国から生糸・絹織物・陶磁器などを輸入、銀は中世末期から近世初期の日本の貿易を支えたのです。
この結果、中国は銀本位制に、また石見銀山、生野銀山のある西日本、大坂では、江戸時代を通じて銀本位制でした。
江戸は金本位制だったので、神宮(伊勢神宮)の門前町では、金銀両貨幣が使われています。
日本三大銀山と呼ばれる延沢銀山、生野銀山、石見銀山に共通することは、江戸時代初期が全盛だったこと。
つまりは、その時代の日本の対外貿易を支えた銀山ということに。
延沢銀山|山形県尾花沢市
所在地:山形県尾花沢市銀山新畑
発見年:康正2年(1456年)/伝承
最盛期:江戸時代初期、寛永8年(1631年)〜寛永9年(1632年)
閉山年:元禄2年(1689年)
備考:延沢銀山は,江戸時代を代表する銀山のひとつ
銀山開発の過程で湧き出した温泉が、銀山温泉の始まり
生野銀山|兵庫県朝来市
所在地:兵庫県朝来市生野町小野大谷筋
発見年:天文11年(1542年)
最盛期:3代将軍・徳川家光の時代=元和9年(1623年)〜慶安4年(1651年)
閉山年:昭和48年
備考:坑道の総延長は350km
「我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産
石見銀山|島根県大田市
所在地:島根県大田市大森町(世界文化遺産・石見銀山大森ゾーン)
発見年:鎌倉時代末期、延慶2年(1309年)
最盛期:戦国時代後期〜江戸時代前期
閉山年:昭和18年(完全閉山)
備考:世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録
日本三大銀山とは!? | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag