史跡生野銀山

史跡生野銀山

兵庫県朝来市にある日本を代表する銀山の跡が史跡生野銀山で、その坑道を観光用に公開。「観光坑道」は坑道のうち1kmを公開するもの(往復40分)。近代坑道・金香瀬坑(かながせこう)が中心とした見学となりますが、江戸時代の滝間歩(たきまぼ)旧坑では鑿(のみ)の跡なども残されています。

明治政府直営、初の官営鉱山に入坑

大同2年(807年)に鉱物の露頭が発見されたのが始まりと伝わる歴史ある鉱山。
天文11年(1542年)、山名祐豊(やまなすけとよ)が但馬守護となった時に銀鉱脈が発見され、本格的な銀山経営が始まっています。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も生野奉行を置いて銀山経営にあたらせ、戦国時代の織豊政権の経済を支えた銀山にもなっているのです。

江戸時代(近世)には佐渡の金山、岩見の銀山とともに幕府の財政を支えた重要な銀山に発展、3代将軍・徳川家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(562kg)の銀を産出。

明治元年、明治政府は仏人技師ジャン・フランソワ・コアニエ(Jean-François Coignet)を招き、鉱山を近代化・機械化を促進(金香瀬の坑口は、フランス式の石組み)。
これが、明治政府直営で初の官営鉱山で、それまでの鎚(かなづち)と鏨(たがね)による「タヌキ掘り」(タヌキのように人力でトンネルを掘ること)を止め、採掘作業に火薬発破を導入、運搬作業の効率化を図り機械化を推進、軌道や巻揚機を新設しています。

明治9年には生野〜飾磨間に幅員6m、全長約49kmの生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)を敷設。
フランス人技師レオン・シスレー(ジャン・フランソワ・コワニエの妻の弟)の監督のもと、当時としては最新技術のマカダム式道路(砕石による道路舗装法)を採用しています(日本初の高速産業道路)。

昭和48年に閉山となるまで坑道は地下880m、総延長は350kmにも及んでいます。
天文11年(1542年)の鉱脈発見から昭和48年の閉山に至るまでの銀の産出総量は、1723トンにもなるのです。

併設の「生野銀山文化ミュージアム」では、生野銀山の歴史を紹介するほか多彩な鉱物標本を展示、さらに生野銀山、石見銀山の江戸時代の原寸大坑道模型(タヌキ掘り)で往時の採掘を再現しています。
「鉱山資料館」ではパネル展示、鉱山立体模型などで生野銀山の歴史を紹介。

坑道入口横にある山上階段を上って行くと露天掘り跡の金香瀬旧露頭群跡(慶寿ひ)があり、銀の鉱石を掘り出した跡で往復20分ほどで見学が可能。
この露頭を探し当て、そこから地中へ掘り進んで採掘していました。
この金香瀬旧露頭群跡(慶寿ひ)などを巡る坑道外コースは往復30分ほどの所要です。

史跡生野銀山は、神子畑選鉱場跡(みこばたせんこうじょうあと)、神子畑鋳鉄橋、羽渕鋳鉄橋などとともに日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」の構成資産にもなっています。
また、「我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定。

史跡生野銀山
名称 史跡生野銀山/しせきいくのぎんざん
所在地 兵庫県朝来市生野町小野大谷筋33-5
関連HP 史跡生野銀山公式ホームページ
電車・バスで JR生野駅から神姫バス黒川行きで15分、小野下車、徒歩10分。またはJR生野駅からタクシーで10分
ドライブで 播但連絡道路生野ICから約4km
駐車場 210台/無料
問い合わせ 史跡生野銀山 TEL:079-679-2010/FAX:079-679-2755
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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