確実に誤解を生む! まさかの天守閣(3)洲本城|兵庫県

洲本城・模擬天守

令和8年に築城500周年を迎える淡路島の名城、洲本城(すもとじょう/兵庫県洲本市)。「登り石垣」という全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存され、続日本100名城にも選定される城です。山上に建つ天守閣的な建物は、昭和4年に建造された「日本最古の模擬天守」です。

水軍の拠点として築かれた洲本城

洲本城・模擬天守

模擬天守とは、もともと天守などがなかった中世の城に、観光のシンボルとして建てられた天守閣風の建築物のこと。
戦後、高度成長期に全国に建てられましたが、洲本城は戦前、それも昭和初期に建てられた貴重な存在です。

目的は、展望施設で、往時は文字通り最上階から大海原を眼下にできましたが、現在は耐震などの問題で、立ち入ることはできません。

もともと洲本城は、山麓に桃山時代に築かれた「下の城」、そして淡路水軍(紀伊水軍の一派)を率いた洲本安宅(すもとあたぎ)氏が大永6年(1526年)に築いた「上の城」に分かれていました(「上の城」の築城年に関しては諸説あります)。
天正13年(1585年)、脇坂安治(わきざかやすはる=賤ヶ岳の七本槍のひとり)が入城し、今に残る見事な総石垣の城に改修。
関ヶ原の合戦で東軍に寝返り、淡路の領有を存続した脇坂安治が伊予大洲に移った慶長14年(1609年)、洲本城は廃城となり、以降は姫路藩、阿波藩の領土となっています。

天守台があるので、天守があった可能性も大!

洲本城・模擬天守

洲本城「上の城」の本丸には天守台が現存。
しかもその周辺から多量の瓦が出土することで、天守的な建築物があったという可能性は残されています。
しかも、天守台とそれにつながる小天守台の石垣は完成された算木積みにより築かれていることで、重量ある建築物を建てることを想定して築かれているのです。

残念ながら洲本城では、建物が描かれた絵図が1枚もなく、天守があったとは断言できません。

近世的な天守があったと断言できない洲本城「上の城」になぜ天守閣風の建物を建てたのかといえば、昭和天皇御大典記念事業だったから。
昭和3年11月、京都で盛大に御大典(即位の礼)が行なわれていますが、同時期に洲本城模擬天守が着工され、翌年に完成。

当時は海水浴でも栄えた洲本、明石海峡大橋が完成するまでは淡路島の玄関口として、大阪、神戸、和歌山からの船が寄港し、環境拠点となっていたのです(洲本には遊郭もありました)。
洲本港では船を待つ観光客が行列を成したことも。
そんな時代を背景に、洲本城に展望台を兼ねた城型休憩所を建設しようとするのは、自然な流れだったのかもしれません。

もちろん、歴史学的な考証があったわけでもなく、単なる休憩所として建てたものですが、現在、この模擬天守を眺めた人は、「洲本城の天守閣を復元したもの」と誤解する可能性は大。
建物が描かれた絵図がないことが大きな理由ですが、天守があったのかどうかは、今も謎に包まれています。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(3)洲本城|兵庫県
名称 洲本城/すもとじょう
所在地 兵庫県洲本市小路谷
関連HP 洲本市公式ホームページ
電車・バスで 洲本港・洲本バスターミナルから徒歩40分
ドライブで 神戸淡路鳴門自動車道洲本ICから約7.4km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 洲本観光案内所 TEL:0799-25-5820
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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