ミュースカイ(名鉄2000系電車)、快速特急などの速達性の高い列車で知られる名古屋鉄道(名鉄)。実は、超特急のルーツが、名鉄の前身、愛知電気鉄道(愛電)であることはあまり知られていません。昭和5年9月20日のダイヤ改正で、神宮前駅〜吉田駅(現・豊橋駅)を57分で結んだのが超特急の始まりです。
超特急「あさひ」が、省線の半分の時間で名豊を結ぶ

東海道本線は非電化で、戦前は名古屋近郊区間でも蒸気機関車(SL)が特急列車を牽引していましたが、ライバルである愛知電気鉄道(愛電)は、電車を高速化、昭和2年には神宮前駅〜 吉田駅(現・豊橋駅)を特急1時間3分、急行1時間12分で結ぶ高速運転を実現、当時の東海道本線に大きく差を開けていました。
昭和5年9月20日のダイヤ改正ではさらに高速化を実現、特急を所要1時間、急行を所要1時間10分に短縮、特急と同じ停車駅ながら3分速い所要57分という「超特急」を生み出したのです。
東京駅〜神戸駅を9時間で結んだ鉄道省の超特急「燕」が蒸気機関車の牽引ながら東海道本線の高速化に挑戦して誕生したのが昭和5年10月1日なので、それよりも少しだけ早い超特急のデビューとなりました。
超特急「燕」がツバメのテールマークで親しまれたことに対抗し、愛電の超特急は「あさひ」の列車愛称を付け、朝日のヘッドマークを掲げるようになりましたが、5年ほどで特急に統合され、超特急の存在はなくなっています。
使用した車両は愛知電気鉄道デハ3300形電車。
製造直後に昭和恐慌に突入し、愛電最後の花形電車となっています。
車内は固定クロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート仕様という当時としては画期的な通勤型電車で、ライバルだった鉄道省の二等客車(現・グリーン車)並みの居住性を誇っていました。
パノラマカーなどに続く名鉄の豪華な仕様の原点ともいえる電車です。
この超特急の誕生で、ライバルの東海道本線(熱田駅〜豊橋駅間)の所要が1時間50分であることに対して、時間的には半分ほどに短縮したことになり、大きな差が生まれ、新快速などが誕生する近年の巻き返しまで、名鉄優位の基礎が生まれました。
東海道線の電化、新快速、特別快速の誕生などもあって現在では、岐阜駅〜豊橋駅間の所要時間はJRが最速1時間12分(下り特別快速)、名鉄は最速1時間19分(上り快速特急)とJRが優位になっていますが、今も名古屋駅〜豊橋駅に限っては、名鉄が優位となっており、伝統は今も健在です。
【昭和レトロな旅】日本初の「超特急」は名鉄の前身・愛知電気鉄道で走った! | |
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