西渓公園

西渓公園

佐賀県多久市多久町にある都市公園が西渓公園(せいけいこうえん)。もとは多久家家老の屋敷跡で、大正12年、多久出身で「肥前の炭鉱王」と称された高取伊好(たかとりこれよし)が私財を投じて建設した公園。西渓の名は、伊好の号にちなんで付けられたものです。

「肥前の炭鉱王」が隠居後、故郷に寄付した公園

西渓公園

多久の朱子学の学校、東原庠舎(とうげんしょうしゃ)で学んだ高取伊好は、三菱財閥などの抵抗を受けながらも、財閥の支援なくして「肥前の炭鉱王」にまで上り詰めた郷土の偉人。

杵島炭鉱(きしまたんこう=佐賀県杵島郡にあった炭鉱)で巨大な富を生み出した高取伊好は大正8年、高取鉱業と高取合資会社の経営を長男・高取九郎と娘婿の・高取盛に譲って引退(70歳でした)し、余生を唐津の自宅(現・旧高取邸)と武雄・雲仙の別荘で漢詩の詩作に励み、書や能を楽しみました。
搬出港となった住ノ江港の港湾設備、唐津小学校建設(辰野金吾の設計、借金に苦しんでいた時代の寄付です)など、社会貢献にも尽力していますが、引退後に築いた西渓公園もそのひとつ。

多久村営図書館、公会堂と公園を寄付していますが、敷地と建設費の総額7万7800円の総額を寄付しているのです。

高取伊好が5年の歳月を費やして造園された山水公園だけあり、四季折々素晴らしい景観が展開。
春の梅、400本の桜(ソメイヨシノ/例年の見頃は3月下旬~4月上旬)、初夏のツツジと花暦には事欠きませんが、とくに秋の紅葉は見事(例年の見頃時期は11月中旬~11月下旬)。

また園内には、国の登録文化財に指定されている木造和風の公会堂「寒鶯亭」(かんおうてい)や、高取伊好も学んだ朱子学の学校「東原庠舎」に関する資料を展示する図書館(レンガ造りの書庫)、3つの資料館(多久市郷土資料館・先覚者資料館・歴史民俗資料館)もあるので、ぜひお立ち寄りを。
「寒鶯亭」と図書館は、大正14年、当時の多久村に高取伊好が公会堂と図書館を寄贈したもの。

「寒鶯亭」の床の間には高取伊好の筆で「寒鶯待春」(かんおうたいしゅん)の書があり、寒鶯亭という名の由来になっています。
「寒鶯待春」は、鶯(うぐいす)は春に備えて一生懸命舌鼓を打つような笹鳴きで練習をし、春に美しい声を聞かせるの意で、「多久村民も一人前の人物として世に出るために、この公会堂で学びなさい」という不断の努力と労苦を惜しまぬ姿勢で「肥前の炭鉱王」になった高取伊好のメッセージが込められているのです。

唐津市には明治後期から大正時代に建てられた高取伊好の邸宅「旧高取邸」が現存し、「肥前の炭鉱王」の足跡を学ぶことができました。

西渓公園
「肥前の炭鉱王」高取伊好の像

画像協力/佐賀県観光連盟

西渓公園
名称 西渓公園/せいけいこうえん
所在地 佐賀県多久市多久町1975-1
関連HP 西渓公園公式ホームページ
電車・バスで JR多久駅からタクシーで10分
ドライブで 長崎自動車道多久ICから、武雄北方ICから約7km
駐車場 80台/無料
問い合わせ 西九州建設 TEL:0952-74-3591/FAX:0952-74-3592
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧高取邸

旧高取邸

佐賀県唐津市北城内、唐津城本丸西南の海岸沿いに建つ、高取伊好(たかとりこれよし)の旧宅が旧高取邸。中庭を囲むようにして建つ住宅は、明治後期から大正時代に建てられたもので、和洋折衷の近代建築遺産として、国の重要文化財に指定。昭和初期の状態に復

 

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