武寧王記念碑(伝・武寧王生誕の地)

武寧王記念碑(伝・武寧王生誕の地)

佐賀県唐津市鎮西町の沖合、加唐島(かからしま)の港近くあるのが武寧王記念碑(伝・武寧王生誕の地)。古代の朝鮮半島にあった百済(くだら)の第25代・王(在位:502年〜523年)で、百済を再興した武寧王(ぶねいおう・ムリョンワン)は、加唐島が生誕の地という伝承があります。

『日本書紀』の記述を武寧王墓誌石が裏付け

『日本書紀』の雄略天皇紀5年(461年)条に、百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の昆支王を倭国に貢る際、一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と名付けて百済に戻したと記され、これが武寧王であると記されているのです(原文「六月丙戌朔、孕婦果如加須利君言、於筑紫各羅嶋産兒。仍名此兒曰嶋君。於是、軍君即以一船、送嶋君於國。是爲武寧王。」)。

そんな伝承が、平成18には日韓交流のシンボルとして、加唐島港の高台に百済の古都・益山(イクサン)の神影石を使って生誕地記念碑が建立されました。
毎年6月第1土曜日には『武寧王生誕祭』が執り行なわれ、武寧王陵がある韓国公州市から数十名の参加があります。
さらに令和2年には、ゆかりの地、オビヤ浦に「武寧王生誕の地」と日本語とハングルで刻まれた記念碑(韓国産の御影石製)が完成、日韓交流の架け橋になっています。

昭和46年7月5日、韓国・公州市で、宋山里6号墳排水路工事中に偶然、未盗掘のまま発見された武寧王の墓から、買地券(ばいちけん=墓地を地神から買い取る記録の刻まれた墓誌石)が出土し、没日も『日本書紀』の記載と一致することから、『日本書紀』の記述の正確性も裏付けられ、加唐島・オビヤ浦が生誕の地という可能性も高まっています。

加唐島へは、唐津市呼子の離島渡船乗場から加唐島汽船の「かから丸」で17分。

武寧王記念碑(伝・武寧王生誕の地)
名称 武寧王記念碑(伝・武寧王生誕の地)/ぶねいおうきねんひ(でん・ぶねいおうせいたんのち)
所在地 佐賀県唐津市鎮西町加唐島
電車・バスで 加唐島フェリーターミナルから徒歩2分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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