東京湾要塞・猿島砲台跡

東京湾要塞・猿島砲台跡

神奈川県横須賀市、横須賀新港沖合い1.7kmに位置する猿島に残るのが東京湾要塞・猿島砲台跡。明治時代、首都東京と海軍・横須賀軍港(横須賀鎮守府/明治17年設置)を守備するため、明治14年11月に起工、明治17年6月に竣工した砲台で、同じ横須賀市の千代ヶ崎砲台とともに国の史跡となっています。

島全体が猿島砲台跡で国の史跡に!

東京湾内の人工島を利用した3ヶ所の海堡(第一海堡、第二海堡は現存)、城ヶ島砲台、観音崎砲台、剱崎砲台など三浦半島の海岸部の砲台、対岸の富津元洲堡塁砲台、大房岬砲台、洲崎第一砲台、洲崎第二砲台など房総半島各所の砲台とともに東京湾要塞を構成していました。

とくに、猿島砲台は、東京湾防衛のため西洋の築城技術を導入した東京湾要塞建設の最初期の砲台で、レンガで築かれています。
外部から要塞の施設がまったく見えないのは、森に覆われた無人島としてのカモフラージュのため。

猿島島内には、砲座、弾薬補給を行なう砲側弾薬庫(ほうそくだんやくこ)、棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)の砲台施設、砲台間を連絡するレンガ造りの隧道、隧道内の2層構造の弾薬元庫、電気灯機関舎、送電施設、布積み(ぬのづみ)の海岸護岸などが現存しています。

現在、トライアングルの運航する猿島連絡船が着岸する猿島桟橋から、南北に島を縦断する切り通しの道とトンネルは、島の南部にあった第二砲台と、北部の第一砲台を結ぶ通路の跡。
夏には海水浴場となる唯一のビーチ奥にあるレンガ造り(表面はモルタル塗り)の建物は、明治28年築の発電所(電気灯機関舎)で、ここから島内の要塞に電気を供給していました。

「愛のトンネル」と呼ばれるレンガ造りの隧道(全長90m)は、砲台間を連絡通路だったもので、猿島桟橋から「愛のトンネル」までの切り通し(全長210m、幅4.5m、高さ最大9.5m)横に要塞施設(4つの兵舎と弾薬庫)が並んでいたのです。
切り通しの上部が第二砲台(24センチカノン砲4門)、「愛のトンネル」を抜けた先が第一砲台(27センチカノン砲2門)という構造です。
「幹道は直線ではなく、屈折したり、傾斜を持つトンネルが存在したり、見通すことができないなどいろいろと工夫が施されて点にも注目を」(猿島公園専門ガイド協会)とのこと。

猿島には幕末の弘化4年(1847年)、江戸湾防備を目的に、島頂部に大輪戸台場、島北部に亥ノ崎台場、島東部に卯ノ崎台場が設けられ、川越藩が防備しましたが、現在、展望台が置かれる島の山頂部(標高40m)が平坦なのは幕末の大輪戸台場跡(第二次世界大戦時に猿島高角砲台、防空指揮所設置)だからです。

猿島要塞は、土木学会の土木遺産にも認定されています。

ちょっぴり深堀りして猿島を楽しみたい場合には、猿島公園専門ガイド協会の「ガイドツアー」に参加するのがおすすめです(ガイド希望日の1週間前までに予約を)。

東京湾要塞・猿島砲台跡
明治28年築の発電所(電気灯機関舎)
東京湾要塞・猿島砲台跡
名称 東京湾要塞・猿島砲台跡/とうきょうわんようさい・さるしまほうだいあと
所在地 神奈川県横須賀市猿島
関連HP トライアングル公式ホームページ
電車・バスで 京急横須賀中央駅から徒歩15分、または、JR横須賀駅から徒歩30分で三笠桟橋。三笠桟橋から猿島渡船で10分
ドライブで 横浜横須賀道路横須賀ICから約3kmで三笠桟橋。三笠桟橋から猿島渡船で10分
駐車場 三笠公園駐車場(80台/有料)
問い合わせ スカナビi (横須賀観光インフォメーション) TEL046-822-8301(9:00~17:00)/トライアングル TEL046-825-7144
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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