花庄屋大鐘家

花庄屋大鐘家

静岡県牧之原市の片浜地区にあり、慶長2年(1597年)頃の建築といわれる古民家が、花庄屋大鐘家(はなしょうやおおがねけ)。大鐘家は代々庄屋を務めた豪農で、3000石以上の格式をもっていた家柄。主屋と長屋門が国の重要文化財に指定されています。

柴田勝家・勝豊に使えた武将が、遠州に土着し、大庄屋に

江戸時代初期の建築様式の主屋は、、手斧造り(ちょうなづくり)の太い梁と2本の大黒柱に支えられた重厚な造りで、長屋門とともに国の重要文化財。
母屋の横には小堀遠州作と伝わる庭園もあります。

田沼街道に面した長屋門前には1万2000本のアジサイ、3000本の花菖蒲が咲く「あじさい庭園」もあり、6月が花の見頃。
5月下旬~7月上旬には『あじさい祭』も開催されています。

米蔵を改装した蔵の資料館は、宝物の展示やギャラリーとして使用され、とくに見事な陶器類は必見の価値があります。
背後にある山には「あじさい・ゆり遊歩道」が巡らされ、見晴台からは富士山や駿河湾を一望します。

大鐘家は室町時代、尾張国愛知郡上社村(現在の愛知県名古屋市名東区高針)出身で、一帯を領有した柴田勝家(しばたかついえ)の家臣となり、柴田勝家の甥(おい)で勝家の養子となった柴田勝豊(越前丸岡城、のちに近江長浜城城主)に家老として仕えています。
天正11年(1583年)の賤ヶ岳の合戦(しずがたけのがっせん)に際して、主君・柴田勝豊が羽柴秀吉に寝返ったため秀吉軍として病に伏せた勝豊の代理で参戦していますが、その直前に、当時、近江・長浜城主だった柴田勝豊は京・東福寺で病死。
長浜城主は山内一豊に変わり、天正18年(1590年)、山内一豊(やまうちかずとよ)が掛川城主となったことで、慶長2年(1597年)、大鐘藤八郎は山内一豊の命で遠州相良に移り住み、その後大庄屋になったと伝えられています。

花庄屋大鐘家
名称 花庄屋大鐘家/はなしょうやおおがねけ
所在地 静岡県牧之原市片浜1032
関連HP 花庄屋大鐘家公式ホームページ
電車・バスで JR藤枝駅から静鉄バス相良営業所行きで50分、片浜下車、徒歩5分
ドライブで 東名高速道路吉田ICから約10km
駐車場 130台/無料
問い合わせ 花庄屋大鐘家 TEL:0548-52-4277/FAX:0548-52-4277
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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