犀ヶ崖古戦場

浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が、一矢報いるために夜襲を掛けたと伝わる犀ヶ崖古戦場がここ。

浜松城に逃げ帰った家康が図った奇襲の地

元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、三方原の戦いで大敗北を喫し浜松城に逃げ帰った直後の軍議では、三河吉田城(現・愛知県豊橋市)に退却する案も出ましたが、大久保忠世、石川数正、天野康景ら百余人と鉄砲組16人は闇に紛れて敵陣を急襲。
鉄砲の一斉射撃とともに斬り込んだ伝えられています。

武田軍は降りしきる雪のため退路がわからず、谷底に転落するものが続出という惨事となりました。
一説には家康軍が雪の原に見せかけて谷の上に布を敷いたともいい、布橋という地名はその奇策に由来するとも伝わりますが、武田側の史料もなく、定かでありません。

一帯は今も緑に囲まれ、犀ヶ崖の断崖は暗い谷として残されています。
台地側の一角は犀ヶ崖公園となり、犀ヶ崖資料館が建っているのであわせて見学を。
地元では子供に「悪いことをしたら犀ヶ崖に連れて行く」といって諭すのだとか。

今も緑濃く、底知れぬ雰囲気が漂っています
犀ヶ崖古戦場
名称犀ヶ崖古戦場/さいががけこせんじょう
Saigagake Old Battlefield
所在地静岡県浜松市中区鹿谷町25-10地先
関連HP浜松市公式ホームページ
電車・バスでJR浜松駅バスターミナルから遠鉄バスで9分、さいが崖下車、徒歩すぐ。または、遠州鉄道鉄道線遠州病院駅から徒歩25分
ドライブで東名高速道路三方原スマートICから約6.5km。浜松西ICから約7.7km
駐車場犀ヶ崖資料館駐車場を利用
問い合わせ犀ヶ崖資料館 TEL:053-472-8383
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

犀ヶ崖資料館

三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方ヶ原の戦いとその戦没

三方ヶ原古戦場(三方ヶ原古戦場碑)

三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川家康が命からがら浜松

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