府内城(大分城址公園)

1597(慶長2)年、石田三成の妹婿・福原直高により、12万石の居城として築かれた平城が府内城で府内城跡は大分城址公園として整備されています。現在は文化会館がある大分城址公園は、天守のそびえた本丸周辺の水堀を埋めて整備されたもの。その北西側の松栄神社は、かつて山里丸があった場所です。「日本100名城」にも選定。

府内藩2万1000石の藩庁

大手門(復元)
人質櫓
天守台石垣
堀の右側が帯曲輪

石田三成の妹婿・福原直高(福原長堯)が、1597(慶長2)年2月、府内新城(荷揚城)へ転封され築城を開始。
豊臣方だった福原長堯は、石田三成の失脚で、五大老筆頭の徳川家康により建設途中の府内城を没収され、関ヶ原合戦後に入封した竹中重利が完成させています。
竹中重利は石垣の築造に、加藤清正の石工を、大坂や伏見から大工や瓦師を招くなど、当時の城造りの先端技術を導入しています。

かつては海辺に面していたため、白土の塀と、水上に浮かぶような姿から、白色のキジに例えて「白雉城」(はくちじょう)とも呼ばれていました。

藩政時代(藩主は大給松平=おぎゅうまつだい)には府内藩2万1000石の藩庁となっていました。

堀には復元された廊下橋が架かる

堀にかかる廊下橋
廊下橋は実際に渡ることも可能

四重層の天守を有し、23の櫓と5つの門、3ヶ所の廊下橋が配されていましたが、本丸跡北西隅に人質櫓(ひとじちやぐら=二重櫓)と西丸に宗門櫓(しゅうもんやぐら=平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定。
また3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されています。

山里丸は茶の湯や月見など諸芸能を行なう特別な場所で、大坂城や姫路城などにしか見られないもの。
府内城が古式の風格をもった貴重な史跡であることを示しています。

往時には三重の堀が巡らされていますが、現存する堀は二の丸と三の丸を区切る堀のみです。
山里丸と西ノ丸の間の堀に架けられていた廊下橋は、平成8年に復元されたもので、大手門なども昭和40年に復元されたもの。
70本のソメイヨシノが植えられた桜の名所でもあり、花見シーズンはいっそうにぎわいをみせます。

正保城絵図に見る 府内城

1644(正保元)年、幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図。
城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれています。
城の玄関口、大手門として機能した多聞櫓門(たもんやぐらもん)は、昭和20年の空襲で焼失し、昭和40年に復元されています。
天守は、1743(寛保3)年の大火により焼失。以降再建されることはありませんでした。

府内
府内という名は、豊後国の府中(国府が置かれた所)の意。
中世には豊後の守護職、守護大名であった大友氏の拠点で、現在の大分駅東方、大分市顕徳町には大友氏館が築かれていました(大友氏遺跡として国の史跡に)。
この大友氏の城下町が府内で、1586(天正14)年の島津家久の侵攻の際に焼き討ちに遭い、壊滅しています。
府内城(大分城址公園)
名称 府内城(大分城址公園)/ふないじょう(おおいたじょうしこうえん)
所在地 大分県大分市荷揚町4
関連HP 大分市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR大分駅から大分交通バス全路線5分、大分市役所前下車すぐ
ドライブで 大分自動車道大分ICから約4.6kmで荷揚中央駐車場
駐車場 荷揚中央駐車場(95台/有料)、駐車場から徒歩4分
問い合わせ 大分市商工労働観光部観光課 TEL:097-537-7043/FAX:097-537-5670
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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