二条城・二の丸御殿唐門
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。外堀を渡り東大手門をくぐると二の丸で、二の丸御殿(国宝)の正門となるのが二の丸御殿唐門(にのまるごてんからもん)。御殿は築地塀で囲まれ、唐門をく…
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。外堀を渡り東大手門をくぐると二の丸で、二の丸御殿(国宝)の正門となるのが二の丸御殿唐門(にのまるごてんからもん)。御殿は築地塀で囲まれ、唐門をく…
大分県竹田市、天神山に築かれた岡藩の藩庁が、岡城(豊後竹田城)。城郭内最高所に位置する本丸の北側に配されているのが二の丸。主殿、御風呂屋、月見櫓などが建ち、来客の接待、藩主の憩いの場になっていました。現在では来城者のため…
大分県臼杵市にある臼杵城に現存する往時の櫓のひとつが、畳櫓。江戸時代の臼杵城は本丸、二の丸の周囲は海で、陸側の三の丸とは今橋と古橋で連絡されていました。古橋口から二の丸へと登城道・鐙坂(あぶみざか)を上ると畳櫓が建ってい…
大分県臼杵市にある臼杵城の二の丸の正門が、大門櫓。現在は埋立により臼杵市街地となった丹生島(にゅうじま)に、永禄5年(1562年)、大友宗麟(おおともそうりん)が築いた海城が臼杵城。畳櫓、卯寅口門脇櫓は往時のままに現存し…
青森県弘前市、日本100名城にも選定される弘前城には天守の他、創建当時の5つの城門、二の丸の3つの櫓が現存しています。二の丸丑虎櫓(にのまるうしとらやぐら)は、丑寅、つまりは二の丸の北東を守るための三重櫓。築城当初の慶長…
青森県弘前市、弘前城の城跡に現存する築城当初の5つの門のひとつが弘前城・二の丸南門。二の丸に現存する2つの城門のうち、二の丸と三の丸を隔てる中濠に架る杉の大橋を渡った先に位置する櫓門で、国の重要文化財に指定されています。
青森県弘前市、弘前城(ひろさきじょう)の二の丸東端にあるのが弘前城・二の丸東門(東内門)。東門で三の丸に入り、城内唯一の石橋である東内門橋で中堀を渡ると二の丸入口の枡形があり慶長15年(1610年)築の東門が建っています…
「日本100名城」に選定される小田原城二の丸の表門が銅門(あかがねもん)。馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸へ登城する途中にある門で、現在の門は平成9年の復元。石垣による桝形(ますがた)、内仕切門(一の門)と渡櫓門(わた…
松江城山公園にある神社で松江藩の初代藩主の松平直政を祭神に祀っているのが松江神社。国宝の天守がそびえる松江城の本丸から南側に一段下がった二の丸にあり、明治30年に拝殿、本殿とともに城山公園内に移築されたもの。堀尾忠晴創建…
明治36年に松江に天皇を迎えるために建築された興雲閣(こううんかく)。当時のお金で1万3489円をかけて完成した擬洋風建築です。建設当時は「ロシア宮殿風」と近隣に喧伝(けんでん)されたとか。日露戦争勃発などにより、山陰の…
明治4年の廃城の後、明治8年に取り壊されたのが松江城二の丸の櫓群。平成13年に復元された櫓のひとつが、藩主の居住空間である御殿もあった松江城二の丸の東南角を守る南櫓です。
かつて松江城の二の丸には、東の櫓、太鼓櫓、中櫓、南櫓、御月見櫓という5つの櫓が並んでいました。平成13年に松江藩大工頭・竹内右兵衛書つけ(松江城廓の実測記録)などをもとに復元された櫓のひとつが御貝足蔵と呼ばれた中櫓です。
島根県松江市、松江城の大手に面した二の丸の東側に平成13年に2層の南櫓、平櫓の中櫓、太鼓櫓が125年ぶりに復元(明治8年に取り壊されていました)。御廊下橋と呼ばれた千鳥橋あたりから眺めると、二の丸の高石垣、内堀、そして櫓…
JR長岡駅・大手口からのびる大手通り(国道351号)沿いの現「アオーレ長岡」の西側が、長岡城二の丸跡。この長岡城、もとは堀直竒(ほりなおより)が建設に着手。堀氏はその後、城の完成を見ずに村上藩へ移封され、代わって元和4年…
霞城公園となっている山形城の二の丸の大手(正門)にあたるのが東大手門。枡形(広場)を中心に櫓門、続櫓、高麗門、土塀で構成されています。藩主の威厳を示す重厚な門になっています。現在の門は江戸時代中期の門を史料をもとに平成3…
宝永4年(1707年)に完成した門で、平戸城では唯一現存する門が北虎口門。二の丸の搦手(からめて=裏側)を守る北虎口門ですが、山鹿流築城法で縄張りされた際に、隣接する地蔵坂櫓(昭和の復興)とともに北側に移動しています。乾…
彦根城の中堀に開く、南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに4つの門のひとつが佐和口。その佐和口を守るのが佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)で、国の重要文化財。大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門です。二階二重の櫓…
広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれる平城で、慶長4年(1599年)、太田川河口の三角洲に毛利輝元により築城されました。鯉城の名はこの付近が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことに由来。現在は内堀から先、二の丸、本丸のみ残…