兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として…
兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として…
山口県萩市旧松本村地区にある伊藤博文が松下村塾に通ったという伊藤博文旧宅近くに建つのが伊藤博文別邸。明治41年、伊藤博文がハルビン駅で射殺される2年前に、東京府下荏原郡大井村(現・東京都品川区大井3丁目)に建築した別邸の…
山口県萩市、松陰神社近くの椿東地区にあり、伊藤博文が14歳~28歳までの13年間の家が伊藤博文旧宅。博文は、ここから松下村塾(しょうかそんじゅく)にも通っていたのです。茅葺き入母屋造りの平屋の旧宅には、勉強部屋や母に叱ら…
山口県萩市、木戸孝允旧宅の先、江戸屋横丁のやや奥まったところに建つ真言宗御室派の寺、円政寺(えんせいじ)。鎌倉時代に大内氏の祈願所として現在の山口市円政寺町に創建され、慶長9年(1604年)、毛利輝元の萩城築城と同時に、…
山口県萩市、土原地区にある武家屋敷の長屋門が小川家長屋門(こがわけながやもん)。小川家初代は毛利元就に仕え、その後、萩藩の大組士(500石)となり、幕末期の当主・小川厚狭佐(こがわあさのすけ)は慶応元年(1865年)〜明…
神奈川県横須賀市夏島町にあるのが明治憲法起草地記念碑。軍港だった横須賀の夏島には、伊藤博文が明治20年〜明治22年の間、別荘を構えていました。明治20年から、金沢洲崎の割烹旅館「東屋」と夏島別荘で、大日本帝国憲法(明治憲…
神奈川県横浜市金沢区、野島公園にあるのが旧伊藤博文金沢別邸。明治時代、風光明媚な野島、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義、井上馨などが別荘を構えました。明治31年には伊藤博文も別荘を建て、…
摂津国八部郡兵庫津、現在の兵庫県神戸市兵庫区中之島の兵庫津にあった戦国時代の城跡が兵庫城(ひょうごじょう)。謀反を起こし、小寺孝隆(黒田官兵衛)を有岡城に幽閉した荒木村重を攻略した功績で、池田恒興(いけだつねおき)が築城…
日清戦争の講話会議は、明治28年4月17日に下関の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう)で開かれ、下関条約(日清講和条約)が締結されました。会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席。…
明治23年、吉田松陰鎮魂のために、松下村塾横に土蔵の祠を建て吉田松陰遺愛の硯などを祀ったのが萩市にある松陰神社の始まり。つまり祭神は吉田松陰本人で吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)。明治40年、松下村塾の門下生・伊藤博…
萩城下の松本村(現在の萩市椿東松本)は、明治維新の精神的指導者として知られる吉田松陰(よしだしょういん)の実家、杉家があった場所。吉田松陰の叔父である玉木文之進(たまきぶんのしん)が天保13年(1842年)に開いた私塾・…
山口県下関市の東行庵境内にある高杉晋作顕彰碑。明治44年5月20日、井上馨によって除幕されています。撰文は伊藤博文で、杉孫七郎が揮毫しています。 高杉晋作顕彰碑 碑文 動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として…
明治維新の立役者のひとりとして知られる高杉晋作の霊位礼拝堂として明治17年、下関に創建されたのが曹洞宗の寺、東行庵(とうぎょうあん)。初代庵主となったのは、晋作の死後、曹洞宗総本山永平寺貫主・久我環渓禅師から得度を受けた…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…
神戸港のルーツ、メリケン波止場(メリケン波止場前交差点)に隣接する港公園に設置される石碑が神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑。仲良く2つの石碑が並び、左側が「海軍営之碑」、右側が陸奥宗光を讃える「陸奥宗光顕彰碑」です。