久留倍官衙遺跡
三重県四日市市大矢知町にある奈良時代を中心とした官衙(かんが=役所)の跡が、久留倍官衙遺跡(くるべかんがいせき)。朝明川(あさけがわ)と海蔵川(かいぞうがわ)とにはさまれた丘陵の東先端部に築かれており、発掘調査で掘立柱建…
三重県四日市市大矢知町にある奈良時代を中心とした官衙(かんが=役所)の跡が、久留倍官衙遺跡(くるべかんがいせき)。朝明川(あさけがわ)と海蔵川(かいぞうがわ)とにはさまれた丘陵の東先端部に築かれており、発掘調査で掘立柱建…
滋賀県大津市、琵琶湖の南岸、茶臼山(ちゃうすやま/155m)の中腹にある前方後円墳が、茶臼山古墳。墳丘長122mで、安土瓢箪山古墳(近江八幡市)、荒神山古墳(彦根市)に次ぐ、滋賀県第3位の規模を誇る巨大古墳です。4世紀末…
大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の境に位置する標高487.5mの山、高安山(たかやすやま)の山上にある古代の城跡が、高安城(たかやすのき)。日本書紀の天智6年(667)条に記される古代山城の跡だと推測され…
奈良県吉野郡吉野町、飛鳥時代から奈良時代にかけて吉野宮(よしののみや)のあった所とされる宮滝地区。斉明、天武、持統、文武、元正、 聖武天皇がたびたび訪れたと伝わる景勝地が吉野川の宮滝です。滝はいわゆる瀑布の意味ではなく、…
東日本、西日本の文化的な分かれ目は、どこにあるのでしょう。その分かれ目こそ、わが町と宣言するのが、岐阜県関ケ原町と新潟県糸魚川町。とくに関ケ原町は、古代の三関(さんせき)のひとつ不破関(ふわのせき)があった場所で、ここか…
天武天皇元年(672年)の壬申の乱(じんしんのらん)で、天智天皇の後継・大友皇子を破った大海人皇子(おおあまのおうじ)が近江大津宮から飛鳥に遷して築いたのが飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)。天武天皇2年(673年…
天智6年(667年)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が飛鳥の地から近江国滋賀郡(現在の滋賀県大津市)に遷都した都が近江大津宮(おうみおおつのみや)。長らく、その場所は不明でしたが、昭和49年の発掘調査により大津市錦織…
関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行…