臥龍山荘
愛媛県大洲市大洲、城下町大洲の東端、肱川流域随一の景勝地・臥龍淵に臨む広さ3000坪の山荘が、臥龍山荘(がりゅうさんそう)。歴代藩主の庭園を、神戸で木蝋(もくろう)の輸出で財を成した貿易商・河内寅次郎(こうちとらじろう)…
愛媛県大洲市大洲、城下町大洲の東端、肱川流域随一の景勝地・臥龍淵に臨む広さ3000坪の山荘が、臥龍山荘(がりゅうさんそう)。歴代藩主の庭園を、神戸で木蝋(もくろう)の輸出で財を成した貿易商・河内寅次郎(こうちとらじろう)…
愛媛県大洲市大洲、小京都とも称される大洲は、伊予大洲藩6万石の城下町。市街の中心にあるのが、明治の家並みと通称される南北の通りで、明治時代に建てられた町家が連なっています。明治・大正時代に栄えた養蚕、製糸の当時を偲ぶ家並…
愛媛県大洲市豊茂、八幡浜市から北東の山中に伸びる愛媛県道28号(長浜保内線)途中、大和川沿いの谷にあるのが人面岩。大洲市側の伊予出石駅からなら5kmほどの場所で、地元の石工・力石力造(ちからいしりきぞう)が天保9年(18…
愛媛県喜多郡内子町と大洲市の境、愛媛県道56号(内子河辺野村線)の脇にある旧道の峠が、龍馬脱藩の道・泉ヶ峠(いずみがとう)。泉ヶ峠は往時には、土佐街道の交通の要所で、文久2年3月26日(1862年4月24日)、土佐藩を脱…
愛媛県大洲市河辺町、河辺川沿いに走る愛媛県道55号(小田河辺大洲線)に建つのが、坂本龍馬脱藩之日記念館。文久2年3月26日(1862年4月24日)、坂本龍馬が国禁を犯して土佐藩を脱藩し、高知から山口に向かう途中、那須信吾…
愛媛県大洲市内子町にある大洲市立の凧のミュージアムが、五十崎凧博物館(いかざきたこはくぶつかん)。五十崎は、「ガガリ」と呼ばれる刃物を備えた凧を上げ、相手の糸を切り合う『いかざき大凧合戦』(毎年毎年5月5日に開催)で有名…
愛媛県大洲市、長浜大橋の架る肱川(ひじかわ)の河口部を眼下にする高台に位置する展望スポットが、肱川あらし展望公園。「肱川あらし」とは、冬季(10月〜3月頃)の晴れた日の朝、上流の大洲盆地で生まれた冷気が霧を伴って肱川沿い…
愛媛県大洲市、まぼろし商店街1丁目と銘打ち、「ぽこぺん、ぽこぺん、だぁれが突っついたか」という懐かしい「かくれんぼ」の世界、昭和30年代の横丁を再現したのがポコペン横丁。地元商店が運営し、様々な店が出店されているので、城…
愛媛県大洲市の観光の玄関口として平成14年に造られた「まちの駅」が、大洲まちの駅あさもや。道の駅が幹線道路沿いにあるのに対して、まちの駅は町なかに位置し、レトロな大洲の町並みにとけ込むようにと配慮された和風の建物になって…
愛媛県大洲市、大洲盆地の中央にそびえる標高319.8mにある冨士山(とみすやま)は、その姿が富士山に似ていることから名付けられた山(大洲富士)。山頂近くまで車道も通じるから手軽に大洲盆地一望のパノラマを得ることができます…
愛媛県大洲市、明治34年、大洲商業銀行本店として建てられた和洋折衷の建物が、おおず赤煉瓦館。銀行建設の背景には、当時、大洲が養蚕・製糸の集積地として繁栄し、明治32年には「大洲繭売買所」が開設したことがあります。つまりは…
「伊予の小京都」と呼ばれる愛媛県大洲市(おおずし)の中心部にある風情ある通りが、おはなはん通り。おはなはん通りのある志保町や比地町は商人町として大洲でいちばん早くから開けたところで、江戸時代から大正時代にかけて建てられた…
2024年6月1日(土)〜9月20日(金)、愛媛県大洲市で『大洲のうかい』。大洲のうかいは昭和32年に観光事業の一つとして開始され、他地域には見られない「合わせ鵜飼い」という方法を採用しています。鵜匠の乗船した「鵜船」に…
愛媛県大洲市の肱川(ひじかわ)河口に架かる橋で現存する日本最古の道路開閉橋が長浜大橋。全長226mの橋の中央部の18mの区間を跳ね上げて開閉することができる可動橋で昭和10年の完成。架橋当時、肱川は内子の木蝋(もくろう)…
大洲城(おおずじょう)は、元弘元年(1331年)に伊予守護職・宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が城郭を築いたのが始まり。肱川(ひじかわ)の蛇行を利用し地蔵岳に建てられた平山城で、文禄4年(1595年)に、築城の名手として…