赤坂天王山古墳
奈良県桜井市にある赤坂天王山古墳群の1基が、赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)。赤坂天王山1号墳とも称され、尾根の先端部を利用して築かれた北辺50.5m、南辺43.2m、東辺46.5m、西辺47mの方墳。被葬者…
奈良県桜井市にある赤坂天王山古墳群の1基が、赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)。赤坂天王山1号墳とも称され、尾根の先端部を利用して築かれた北辺50.5m、南辺43.2m、東辺46.5m、西辺47mの方墳。被葬者…
京都府京都市右京区、大覚寺北側の丘陵(御廟山の山頂)にあるのが、嵯峨天皇・嵯峨山上陵(さがてんのう・さがのやまのえのみささぎ)。嵯峨天皇は、桓武天皇の第二皇子で、平安時代初期の天皇。平安京鎮護のための官寺として建立された…
ヤマト王権の大王墓(だいおうぼ)とされる、あるいはその可能性のある古墳は、奈良県と大阪府に22基。最大の大仙陵古墳は、宮内庁が仁徳天皇の陵に治定していますが、被葬者は今も謎。22基の大王墓を年代順に並べてみると、時代的な…
奈良県桜井市忍坂にある宮内庁が第34代舒明天皇(じょめいてんのう)の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に治定(じじょう)する古墳が、段ノ塚古墳(だんのづかこふん)。7世紀中頃(古墳時代終末期)、天皇陵として最初に築かれた…
京都府京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派の総本山の寺、泉涌寺(せんにゅうじ)の旧境内にあるのが、宮内庁が管理する皇室の陵墓、月輪陵(つきのわのみさぎ)。月輪陵と後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)には合計で25の陵…
京都府京都市東山区、東山三十六峰の南端、緑豊かな月輪山の麓に位置する真言宗泉涌寺派の総本山が泉涌寺(せんにゅうじ)。皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。寺伝によれば、空海が天長年間(824年~834年)に…
奈良県吉野郡吉野町吉野山、如意輪寺境内にあるのが後醍醐天皇陵(ごだいごてんのうりょう)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、足利尊氏(あしかがたかうじ)の離反により、南朝政権(吉野朝廷)の樹立を余儀なくされた後醍醐…
京都府京都市東山区粟田口にある天皇陵が十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)。鎌倉時代末に在位した花園天皇(はなぞのてんのう)の陵墓。12歳で即位し、22歳で後醍醐天皇に譲位し、仁和寺の花園御所を寺に改めて妙心寺を…
大阪府南河内郡太子町にある巨大な方墳が春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)。天皇陵の多い磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)を構成する古墳のひとつで、宮内庁により河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)として第3…
奈良県天理市の柳本古墳群にある前方後円墳が行燈山古墳(崇神天皇陵)。墳丘長は242mという全国16位という巨大な古墳で、実際の被葬者は定かでありませんが、宮内庁は「山邊道勾岡上陵」(やまのべのみちのまがりのおかのえのみさ…
京都市山科区にある御廟野古墳(ごびょうのこふん)は、7世紀末~8世紀、つまりは古墳時代終末期の古墳。形状は、八角形が天下八方の支配者にふさわしいという道教の影響を受けた正八角形の八角墳で、第38代天智天皇の陵墓だと宮内庁…
大阪府羽曳野市誉田にある古市古墳群を構成する古墳のひとつが誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。被葬者は判明していませんが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治…
源平の最終決戦となった壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、数え年8歳だった安徳天皇(平清盛の孫)は入水して命を絶ちます。赤間神宮の水天門は、入水した安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられてお…