赤坂天王山古墳

赤坂天王山古墳

奈良県桜井市にある赤坂天王山古墳群の1基が、赤坂天王山古墳(あかさかてんのうざんこふん)。赤坂天王山1号墳とも称され、尾根の先端部を利用して築かれた北辺50.5m、南辺43.2m、東辺46.5m、西辺47mの方墳。被葬者は崇峻天皇(すしゅんてんのう)と考える説もあります。

巨大な横穴式石室、家型石棺、天皇陵?という注目の古墳

墳丘は3段築成で、斜面には葺石が配されています。
埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、全長15.3m以上という巨大なもの(石室の設計は、奈良県北葛城郡広陵町にある馬見古墳群の牧野古墳と同一であることが判明)。
玄室中央に二上山産の白色凝灰岩を用いた刳抜式家形石棺が置かれています。


残念ながら石室が早い時期から南に向けて開口していたため、副葬品などの遺物は残されていません。
石室の特徴などから6世紀末~7世紀初め(古墳時代末期)の築造だと推測されています。

蘇我馬子によって推薦され即位した崇峻天皇ですが、蘇我氏との距離を保って、倉梯に宮を造営。
蘇我馬子との対立関係から蘇我馬子の命を受けた東漢駒(やまとのあやのこま)に暗殺されてしまいます(日本史に残される唯一の天皇暗殺事件)。
『日本書紀』には、暗殺された後に倉橋の地に葬られたとあり、現在、宮内庁は桜井市倉橋にある倉梯岡陵を天皇陵に治定(じじょう)していますが、実は赤坂天王山古墳が真の陵墓だという説が有力です。

明治時代の初期までは、赤坂天王山古墳は、崇峻天皇の倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)とされており、築造時期から考えて、倉橋地区で天皇陵にふさわしい規模の唯一の古墳であることがその論拠になっていたのです。
現在の地に治定されたのは明治22年で、崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったというのがその理由です。

いずれにしろ、巨大な横穴式石室(内部見学可能)、家型石棺(現存)、そして天皇陵の可能性大という三拍子揃った方墳ということになり、古墳ファンなら一度は訪ねてみたい古墳ということに。

赤坂天王山古墳群は1号墳(赤坂天王山古墳)のほかに、3号墳も横穴式石室は見学可能。

桜井市内の古墳時代後期古墳は、赤坂天王山古墳のほか、茅原狐塚古墳、越塚古墳、珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)などがあります。

【古墳マニア必見!】石室に残る石棺‼盗掘の穴を覗いてみれば/桜井市観光協会
赤坂天王山古墳
名称 赤坂天王山古墳/あかさかてんのうざんこふん
所在地 奈良県桜井市倉橋2846
関連HP 桜井市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR・近鉄桜井駅から奈良交通バス大宇陀行きで10分、下尾口下車、徒歩5分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
茅原狐塚古墳

茅原狐塚古墳

奈良県桜井市茅原にある古墳が、茅原狐塚古墳(ちはらきつねづかこふん)。一辺50m前後の方墳で、埋葬施設として南方向に開口する大型の横穴式石室を備えています。7世紀前半(古墳時代終末期)の築造と推測され、被葬者は三輪氏ではないかと推測する研究

牧野古墳

牧野古墳

奈良県北葛城郡広陵町にある馬見古墳群(うまみこふんぐん)の1基が、牧野古墳(ばくやこふん)。北群・中央群・南群の3群からなる古墳群の中央群を構成する古墳で、馬見丘陵中央部の尾根末端を利用して築かれた直径50mの大型の円墳で、埋葬施設の横穴式

 

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