奈良国立博物館
奈良県奈良市登大路町、明治28年に、東京国立博物館に次いで造られた国立博物館で、奈良公園の一角にあるのが、奈良国立博物館。レンガ造りの本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊(かたやまとうくま)の設計…
奈良県奈良市登大路町、明治28年に、東京国立博物館に次いで造られた国立博物館で、奈良公園の一角にあるのが、奈良国立博物館。レンガ造りの本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊(かたやまとうくま)の設計…
2024年1月5日(金)~2月29日(木)、奈良県奈良市のならまちエリア、春日大社境内などで、『冬の奈良大和路キャンペーン2022「路地ぶら ならまち」』を開催。期間中は、世界遺産・元興寺(真言律宗)、華厳宗元興寺、十輪…
奈良県奈良市橋本町、三条通り御高札場前に復元されているのが、奈良縣里程元標。明治時代に県の諸街道の起点として設置されていた元標で、奈良県では明治21年7月に橋本町に置かれ、大阪や三重、京都への距離などが記されていました。
奈良県奈良市都祁友田町にある古社が、都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)。水分神社は奈良県下に葛木、吉野、都祁、宇陀の4社がありますが、田畑の潅漑を司る神を祀る社。社伝によれば飛鳥時代の創建という古社で、聖武天皇が伊勢行…
奈良県奈良市にある国の名勝に指定される池泉回遊式庭園が、依水園(いすいえん)。「二、三度見せてもらいに行った事がある。この辺では第一の庭だった」と志賀直哉も随筆で絶賛する名園。江戸時代作庭の前園、明治時代の後園、寧楽美術…
奈良県奈良市と京都府木津川市の境、標高112mの奈良山丘陵の傾斜面に築かれた古墳が、石のカラト古墳。全国に6基しか確認されていない上段が円形、下段が方形の上円下方墳(じょうえんかほうふん)。昭和54年の発掘調査で、最初に…
奈良県奈良市大柳生町にある直径16mの円墳が、水木古墳(みずきこふん)。6世紀後半頃の築造と推定され、横穴式石室から刀、鉄鏃、馬具などの副葬品が出土したことから、当時の有力者の箱だろうと推測されています。奈良市の文化財に…
奈良県奈良市春日野町、奈良公園の若草山(標高341.7m)山頂にある墳丘長107mの前方後円墳が、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)。後円部墳頂に享保18年(1733年)に建立された「鶯塚」石碑が立つほか、墳頂には三等三角点…
奈良県奈良市法華寺町にある墳丘長204mという巨大な前方後円墳が、コナベ古墳。佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の東群に属する1基で、宮内庁から小奈辺陵墓参考地として、仁徳天皇皇后・磐之媛命(いわのひめのみこと)の…
奈良県奈良市山陵町にある墳丘長207mという巨大な前方後円墳が、佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)。宮内庁から狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)ですが、として垂仁天皇(すいにんてんのう)皇后の日葉酢媛命(ひばすひ…
奈良県奈良市山陵町にある墳丘長218mの巨大な前方後円墳が、佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)。全国26位、奈良県内8位の巨大古墳で、宮内庁から狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)として成務天皇陵(…
奈良県奈良市佐紀町にある墳丘長219mという巨大な前方後円墳が、ヒシアゲ古墳。宮内庁から平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)として仁徳天皇皇后である磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵墓、磐之媛命陵に治定しています。全国2…
奈良県奈良市佐紀町、平城宮大極殿跡のすぐ北にある墳丘長253mという巨大な前方後円墳が、市庭古墳(いちにわこふん)。全国14位、奈良県6位の巨大な古墳で、宮内庁から楊梅陵(やまもものみささぎ)として平城天皇陵に治定されて…
奈良県奈良市法華寺町にある巨大な前方後円墳が、ウワナベ古墳。最新の調査の結果、墳丘長はこれまでの測量図を元にした255mを大幅に上回る270m〜280mだと判明し、国内12位、奈良県内4位の巨大古墳に。宮内庁から八田皇女…
奈良県奈良市山陵町にある墳丘長267mの巨大な前方後円墳が、五社神古墳(ごさしこふん)。全国13位、奈良県内5位の巨大古墳で、宮内庁から狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)として仲哀天皇皇后である神功皇后…
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の寺、円成寺(えんじょうじ)。円成寺の本堂の東側にあるふたつの小さな社が鎮守社である春日堂、白山堂。鎌倉時代初期の建築と推定され、現存する日本最古の春日造りの社…
奈良県奈良市、奈良町は中世以降発展し、近世に完成した歴史的な家並みが奈良町の町並み。和銅3年(710年)に遷都した平城京が造営されたおり、都の東に南都七大寺のひとつ元興寺(がんごうじ)の境内地として造られたのが奈良町の始…
奈良県奈良市、ならまち地域にある国の重要文化財に指定される建造物が今西家書院。室町時代の典型的な書院造りの様式を伝える文化財で、興福寺大乗院の坊官である福智院家の住まいだったもの。大正13年に造り酒屋の今西家の所有となり…