藤田さんのルーツを探せ!
藤田さんは大姓36位、全国に37万人ほどの藤田さんが暮らし、シェアは0.29%ほど。ルーツは藤の咲く田んぼというほど単純ではなく、藤原氏の流れで「田」を付けた一族、「淵」や「縁」という田んぼのふちを意味する地形がルーツの…
藤田さんは大姓36位、全国に37万人ほどの藤田さんが暮らし、シェアは0.29%ほど。ルーツは藤の咲く田んぼというほど単純ではなく、藤原氏の流れで「田」を付けた一族、「淵」や「縁」という田んぼのふちを意味する地形がルーツの…
2024年7月26日(金)20:00〜21:00、愛媛県新居浜市の国領川緑地(国領川河川敷・平形橋北側)で、『第67回にいはま納涼花火大会』を開催。1951年に始まった歴史ある花火大会で、8000発の花火が工都・新居浜の…
愛媛県新居浜市、別子銅山の鉱石輸送や、昭和に入ってからは旅客輸送を担った鉄道で、明治26年2月に下部鉄道が、8月に上部鉄道が開通。日本初の山岳鉱山鉄道ですが、とくに上部鉄道は、等高線に沿って最小半径15.24mの急カーブ…
愛媛県新居浜市立川町、足谷川右岸の急峻な傾斜地に築かれたレンガ造りの発電所の跡が旧端出場水力発電所(きゅうはでばすいりょくはつでんしょ)。四阪島製錬所、別子銅山の坑内列車、社宅などへの電力供給を目的に明治45年に完成した…
別子銅山で産する鉱石を新居浜へと運び、逆に、山上の鉱山町に生活物資を届けた山岳鉱山鉄道が別子鉱山鉄道。愛媛県新居浜市のマイントピア別子の構内で、明治26年に開通した旧別子鉱山鉄道の下部鉄道の端出場隧道(中尾トンネル)が往…
愛媛県新居浜市に現存する日本最初に開通した山岳鉱山鉄道の橋梁が、旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋(足谷川鉄橋)。明治26年、海岸の新居浜と銅山越の北、第一通洞の北口付近の角石原(かどいしはら/標高1100m)から上部鉄道、高架索…
四国では登山人気の高い西赤石山(1625.8m)の西肩、標高1294mにある峠が銅山越(どうざんごえ/愛媛県新居浜市)。峠の南側は日本の近代化を支えた別子銅山の間符(まぶ)と呼ばれる坑口が密集するエリアで、元禄15年(1…
愛媛県新居浜市にある日本の近代化にも大きく寄与した別子銅山(べっしどうざん)最初の坑道が歓喜坑・歓東坑。元禄3年(1690年)、鉱夫・切場長兵衛から足谷山(別子)に有望な露頭のあることを教えられた泉屋(住友)支配人の田向…
愛媛県新居浜市を流れる国領川に築かれた愛媛県営の多目的ダムが鹿森ダム。ダム堰堤の下流側には、愛媛県道47号(新居浜別子山線)の青龍橋があり、ダム下とダムサイトの標高差をループで克服しています。国領川の洪水防止、発電、愛媛…
愛媛県新居浜市を流れる国領川水系小女郎川に架かる橋が遠登志橋(おとしばし)。明治38年、別子鉱山の東平(とうなる)地区への生活道として築かれた橋長48m(支間長37m)の鋼製スパンドレルブレースト単アーチ橋で、現存する日…
愛媛県新居浜市の別子銅山(べっしどうざん)の跡、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるマイントピア別子東平ゾーンにあり、最盛期の東平の鉱山、社宅、学校などをジオラマ、地形模型、写真などで解説するミュージアムが東平歴史資料館(と…
愛媛県新居浜市で別子銅山の採鉱本部跡のあった東平(とうなる)一帯が、マイントピア別子東平ゾーン。採鉱本部跡、貯鉱庫跡などが山中に残り、その雰囲気から東洋のマチュピチュとも呼ばれています。大正5年から昭和5年までの間、別子…