いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)
戦国時代から江戸時代にかけて日本一の銀山として栄えた石見銀山(いわみぎんざん)。平成19年7月には世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されましたが、銀山を治めた大森代官所跡に建つのが、いも代官ミュージアム(…
戦国時代から江戸時代にかけて日本一の銀山として栄えた石見銀山(いわみぎんざん)。平成19年7月には世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されましたが、銀山を治めた大森代官所跡に建つのが、いも代官ミュージアム(…
石見銀山開発に尽力した奉行・大久保長安の配下、備中国早島(現・岡山県早島町)生まれの山師・安原伝兵衛が夢のお告げで発見したと伝えられる間歩(まぶ=坑道)が位置する釜屋間歩。観音菩薩に似た銀の塊を拾い、清水寺(せいすいじ)…
石見銀山の最盛期を支えた主要坑道の一つが本谷地区の標高310mに位置する大久保間歩(おおくぼまぶ)。関ヶ原合戦の直後、石見銀山の利権を手にした徳川家康から初代の銀山奉行に任命された大久保長安が、槍を手にして馬に乗ったまま…
戦国時代から江戸時代初期に最盛期を迎えた石見銀山の近代の精錬所跡が清水谷精錬所跡。明治19年に藤田伝三郎(藤田財閥)が起こした大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床(大久保間歩)の金銀含有率と量に着目し、20万円の…
平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に指定された石見銀山(島根県大田市)。銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)と呼びますがが、石見銀山に掘られた900ほどの坑道のうち、予約なしで通年内部の見学が…
平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録された石見銀山の大森ゾーン(島根県大田市)で、明和3年(1766年)に創建された寺が羅漢寺。石見銀山の坑夫の霊を供養するために、江戸城大奥の女中などの寄進…
戦国時代後期から江戸時代前期に最盛期を迎えた石見銀山(いわみぎんざん)。「石見銀山遺跡とその文化的景観」として平成19年7月には世界文化遺産にも登録されていますが、その中心となった鉱山町が大森町。石見銀山は大森銀山とも呼…