彦根城・西の丸三重櫓
彦根城には、天守のない他の城なら十分に代用天守となるような立派な三重櫓が2つ築かれています。ひとつが山崎曲輪(やまざきくるわ)の三重櫓で、こちらは明治維新後に破却されていますが、西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら)…
彦根城には、天守のない他の城なら十分に代用天守となるような立派な三重櫓が2つ築かれています。ひとつが山崎曲輪(やまざきくるわ)の三重櫓で、こちらは明治維新後に破却されていますが、西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら)…
播磨姫路藩初代藩主となった本多忠政(ほんだただまさ)が、嫡男・本多忠刻(ほんだただとき)と千姫のために居館となる武蔵野御殿を築き、西の丸に、千姫の自由になる建物を設けたのが化粧櫓。徳川家から輿入れ時に賜った化粧料で造った…
和歌山城西の丸の紅葉渓庭園復元を記念して、和歌山市の名誉市民・松下幸之助が寄贈し、昭和49年5月に完成した茶室。茶道の心得がなくても気軽に立礼室で抹茶を楽しむことができます。もともとこの場所には茶室の遺構があり、そこに数…
初代紀州藩主・徳川頼宣が和歌山城の西の丸に西の丸御殿とともに造られた日本庭園が紅葉渓庭園(西の丸庭園)で、藩主の隠居所。徳川時代以前の浅野家城主時代には庭園の一部となっている山吹谷は水堀だったとか。虎伏山山麓の起伏を生か…
和歌山藩主と側近だけが藩の政庁や藩主の居館である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられたのが御橋廊下。屋根があり、外からは見えない構造で、二の丸側から11度の角度で下るという珍しい構造のため、滑り止めの…