関ヶ原古戦場・大谷吉継墓(大谷吉隆墓)
関ヶ原の合戦で、最初に陣を築いた大谷吉継の陣跡から少し北側の山中に大谷吉継墓(墓碑には大谷吉隆と記されています)があります。車道沿いの平塚為広碑から山中へ徒歩15分、大谷吉継の陣跡からなら5分ほど山道を歩いた場所にありま…
関ヶ原の合戦で、最初に陣を築いた大谷吉継の陣跡から少し北側の山中に大谷吉継墓(墓碑には大谷吉隆と記されています)があります。車道沿いの平塚為広碑から山中へ徒歩15分、大谷吉継の陣跡からなら5分ほど山道を歩いた場所にありま…
東軍を迎え撃つかたちの西軍方は大将の石田三成の拠る笹尾山、副将の宇喜多秀家の拠る天満山、小早川秀秋の拠る松尾山、そして毛利秀元の南宮山という布陣で、東軍を囲む鶴翼の陣(かくよくのじん)を敷き、優位な状況で戦いが始まります…
西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰…
東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷…