関ヶ原古戦場・大谷吉継墓(大谷吉隆墓)
関ヶ原の合戦で、最初に陣を築いた大谷吉継の陣跡から少し北側の山中に大谷吉継墓(墓碑には大谷吉隆と記されています)があります。車道沿いの平塚為広碑から山中へ徒歩15分、大谷吉継の陣跡からなら5分ほど山道を歩いた場所にありま…
関ヶ原の合戦で、最初に陣を築いた大谷吉継の陣跡から少し北側の山中に大谷吉継墓(墓碑には大谷吉隆と記されています)があります。車道沿いの平塚為広碑から山中へ徒歩15分、大谷吉継の陣跡からなら5分ほど山道を歩いた場所にありま…
大和国・筒井順慶に仕え後に豊臣秀長、次いで秀保に仕えた島左近。秀保の死後、石田三成は自分の石高の半分にあたる2万石をもって島左近を抱えます。関ヶ原の合戦でもその前日、9月14日に美濃国杭瀬川(杭瀬川の戦い)で中村一栄軍を…
関ヶ原の北西の方角に位置し伊吹山から派生する尾根の末端に位置する笹尾山。国道21号のバイパスは笹尾山トンネルで通り抜けますが、実はこの笹尾山が関ヶ原の戦いで、西軍総大将・石田三成が陣を構えた一等地。山頂は関ヶ原を一望にで…
JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した…
JR東海道本線・関ヶ原駅に近い「東首塚」境内にあるのが松平忠吉・井伊直政陣跡。関ヶ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、福島正則が東軍先鋒と軍議で決まり、周知されていたのにもかかわらず、娘婿でもある松…
東軍を迎え撃つかたちの西軍方は大将の石田三成の拠る笹尾山、副将の宇喜多秀家の拠る天満山、小早川秀秋の拠る松尾山、そして毛利秀元の南宮山という布陣で、東軍を囲む鶴翼の陣(かくよくのじん)を敷き、優位な状況で戦いが始まります…
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で行なわれた、「天下分け目の戦い」関ヶ原の合戦。東軍の先陣は福島正則と事前の軍議で決められており、井伊直政の抜け駆け的に開始した…
西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰…
関ヶ原の戦いで、最初に陣を構えたのは、智将・大谷吉継(おおたによしつぐ=大谷吉隆)。徳川家康とも懇意で、石田三成の挙兵計画にも「無謀であり、三成に勝機なし」と説得しますが、石田三成は聞き入れず、大谷吉継も西軍として参戦。…
東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷…