関ヶ原古戦場・東首塚

JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した首塚のひとつです。

護国院大日堂と唐門を移築

徳川家康が床几場で首実検をしましたが、その首は関ヶ原の領主だった竹中重門(たけなかしげかど)に命じて、手厚く葬っています。
軍師として知られる竹中半兵衛の嫡男で、美濃国不破郡に5000石を領有し、居城として菩提山城(ぼだいさんじょう=現・岐阜県不破郡垂井町)を築いていました。

関ヶ原の戦いでは、旧友である黒田長政軍に合流して激戦地で奮戦。
さらに、合戦4日後の9月19日には伊吹山で、西軍の武将・小西行長を捕縛する功をあげ、家康から直筆の感状をもらっています。

東首塚には「血洗の井戸」と呼ばれる井戸も現存しています。
朱塗りの建物は、昭和15年に名古屋から移築された護国院大日堂と唐門です。

関ヶ原の合戦での戦没者は推計で8000人。
鉄砲傷、刀傷が原因で数年後に亡くなるという人まで数に入れれば1万はくだらないと思われます。

首塚に埋められているのは、西軍諸将だけとは考えづらいのが実際のところです。
実は、西首塚近くに明治15年頃、長浜までの官設鉄道(現・東海道本線)を敷設の際に、おびただしい数の白骨が出土したと伝えられています。
実際の埋葬作業を行なったのは、地元の住民。
西首塚、東首塚には、かなりの数の戦没者が埋葬されているとも推測できるのです。

関ヶ原古戦場・東首塚
名称関ヶ原古戦場・東首塚/せきがはらこせんじょう・ひがしくびづか
所在地岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原908-3
関連HP関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR関ヶ原駅から徒歩3分
ドライブで名神高速道路関ヶ原ICから約1.2km
駐車場5台/無料
問い合わせ関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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