栃木県益子町は、益子焼(ましこやき)の250の窯元、50の陶器店が軒を並べる焼き物の町。国内はおろか世界でも有名ですが、そのきっかけを作ったのが陶芸作家の濱田庄司氏。益子参考館は氏が生前住居兼作陶場としていた敷地を利用して、長い時間をかけて蒐集した陶磁器、漆器、木工、金工、家具、染織などを展示する施設です。
民藝運動が着目した「用の美」を知る!
自然の土の色を基調に墨や柿色で絵付けをしたほのぼのとした作品が多い益子焼。
栃木県益子町で焼かれる益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まる焼き物。
「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という濱田庄司は、柳宗悦や河井寛次郎らと民藝運動(民芸運動)を創始、日本の工芸界に大きな影響を与ましたが、益子焼の発展の基盤を築いてもいるのです。
正式名は、濱田庄司記念益子参考館。
自ら参考とした品々を、広く一般の人々にも「参考」にしてほしいとの意図のもとに、開設された美術館なのです。
昭和5年に益子に移り住み、作陶を開始した濱田庄司。
昭和30年2月15日には第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝/工芸技術部門陶芸民芸陶器)に認定されています。
柳宗悦の流れをうけて民藝運動(日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する運動で大正14年に柳が「民藝」という言葉を創案)に熱心だったことも知られています。
益子参考館に展示される作品は氏の目を楽しませただけでなく、創作の刺激になったもの。
さらに民藝運動を推進した僚友の河井寛次郎(かわいかんじろう/東京高等工業学校の先輩でともに釉薬を研究)、バーナード・リーチ(浜田とともにイギリスに日本の伝統的な登窯を築き、その後、柳の日本民藝館設立に協力、大英帝国勲章受賞)の作品もあわせて展示しています。
作陶あるいは蒐集した作品から、「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」という民藝運動の哲学を感じ取ることができます。
2号館・3号館は大谷石の石蔵を利用した展示室。
4号館は、「上ん台(うえんだい)」と呼ばれた濱田庄司の別邸を展示棟として公開するもの。
さらには、濱田庄司が使用していた工房(細工場)や塩釉窯、赤絵窯、登り窯も保存展示されています。
濱田庄司館は移築した長屋門を陳列室に再生したもの。
4号館の土間を利用した上ん台茶房(喫茶)や売店も併設。
益子参考館 | |
名称 | 益子参考館/ましこさんこうかん |
所在地 | 栃木県芳賀郡益子町益子3388 |
関連HP | 益子参考館公式ホームページ |
電車・バスで | JR宇都宮駅から東野交通バス益子駅行きで50分、益子参考館下車、すぐ |
ドライブで | 北関東自動車道真岡ICから約14km、宇都宮上三川ICから約22km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 益子参考館 TEL:0285-72-5300/FAX:0285-72-5300 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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