徳川家光の霊廟である日光山輪王寺大猷院(にっこうさんりんのうじたいゆういん)。大猷院は徳川家光の諡号(しごう=おくり名)ですが、歴代の将軍が参詣し、着座したのが大猷院廟の拝殿。大猷院廟は、その奥に相の間、本殿と続く造りとなっています。大猷院廟は承応2年(1653年)の築で、国宝に指定されています。
大猷院の中心伽藍は、国宝!
拝殿は、日光東照宮の権現造(ごんげんづくり)をそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くした造りになっています。
日光東照宮が権現造りを中心とした神仏習合なのに対し、大猷院廟は、日光東照社(現・日光東照宮)の権現造りを踏襲しながら仏殿造りの純仏教形式となっています。
そのため、明治初年の神仏分離の際に東照大権現を祀る日光東照社(神仏習合)は、神社となって東照宮になりましたが、大猷院は寺(日光山輪王寺)として存続しました。
徳川家光の遺言で、東照大権現(徳川家康)を凌ぐような派手な建物の建造を戒められていましたが、この拝殿は全体にわたり黒漆を塗り、さらにその上に金箔を押し、極彩色に彩っているので、別名「金閣殿」(きんかくでん)とも呼ばれています。
64畳という拝殿には、狩野探幽(かのうたんゆう=狩野永徳の孫)・狩野安信(かのうやすのぶ=狩野探幽の弟で、手水屋の天井に龍を遺す)の描いた唐獅子の障壁画が置かれていますが、これはシルクロードから中国を経て日本へと伝わった、権威・権力を象徴する聖獣「唐獅子」(ライオン)を描いた作品。
天井には狩野一門の合作と伝わる140枚の龍の絵が施されています。
本殿の後堂に祀られる仏画・釈迦三尊像も落款・書体から狩野探幽の作と推測されています。
狩野探幽は、江戸城の鍛冶橋御門の門前に屋敷を拝領し、江戸幕府の奥絵師を務めたことから「鍛冶橋家」と称され、江戸城や二条城の障壁画も手掛けています。
拝殿に着座し(中央は将軍の着座した場所)、徳川家光が15歳頃(「具足始の儀」)に実際に着用したと伝わる甲冑(かっちゅう)などを解説付きで見学できます。
本殿には大猷院(徳川家光)の位牌や家光公御坐像が祀られていますが、大猷院には、後に続く太平の世(徳川の治世)に大きな道を開いたという意味が込められています。
日光山輪王寺大猷院・大猷院廟(拝殿・相の間・本殿) | |
名称 | 日光山輪王寺大猷院・大猷院廟(拝殿・相の間・本殿)/にっこうさんりんのうじたいゆういん・たいゆういんびょう(はいでん・あいのま・ほんでん) |
所在地 | 栃木県日光市山内2300 |
関連HP | 日光山輪王寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR日光駅・東武日光駅から世界遺産めぐり循環バスで13分、大猷院二荒山神社前下車 |
ドライブで | 日光宇都宮道路日光ICから約4km |
駐車場 | 100台/有料 |
問い合わせ | 日光山輪王寺大猷院 TEL:0288-53-1567 |
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