佐貫観音

佐貫観音

栃木県塩谷郡塩谷町佐貫にある真言宗智山派の寺が、東海寺別院の佐貫観音(さぬきかんのん)。鬼怒川の佐貫頭首工の左岸、高さ64mもの石英粗面岩の岩塊に大日如来磨崖仏(智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像)が刻まれ、磨崖仏の上部には、奥の院の大悲窟が配されています。

観音像ではなく大日如来が刻まれている!

佐貫観音

風化が進み、石仏の全体像を把握することはできなくなっいますが、像高18.2mの巨像で、顔の大きさだけでも高さ3m、幅1.64mという巨像です。

8枚の蓮華台の上で、結跏趺坐(けっかふざ=足の裏が上を向くように組む座法)し、智拳印(ちけんいん=胸の前で、左手をこぶしに握って人さし指だけ立て、それを右手で握る印)を結び、宝冠をいただく大日如来像。
光線的には、午前中の方が全容が観察に適しています。

佐貫観音と通称されていますが、観音菩薩ではなく大日如来なので(如来=悟りを開いた最高位の仏、菩薩=修行中の仏で、如来に次ぐ位)、佐貫石仏の名称で国の史跡に指定。

江戸時代までは岩戸山慈眼寺観音院と称していましたが、明治初年の廃仏毀釈で廃寺に。
現在は、福聚山東海寺(宇都宮市)の別院、観音院(佐貫観音院)となっています。
一帯19.8haは、佐貫観音自然環境保全地域として保護されています。

空海(弘法大師)が一夜にして彫ったという伝承もあり、船生地区の旧家に残る古文書には、大同2年(807年)に空海(弘法大師)がこの地を訪れ、「讃州(現・香川県)多度郡の郡司・藤原富正の子、富治の願いにより御山表に御尊像を給った」と記されています。

奥の院「大悲窟」が御開帳された明治12年、洞窟内から古鏡2面とともに銅版阿弥陀曼荼羅が発見され、その裏面に「下野国氏家群讃岐郷巌堀修造事勧進沙門満阿弥陀仏大檀那右兵衛尉橘公頼 建保五年丁丑二月彼岸第三日 金銅仏奉掘出畢」とあることから、奥の院と巨像が同じ時代のものとすれば、建保5年(1217年)、つまりは鎌倉時代の初めの磨崖仏ということになります。

大檀那(スポンサー)となった橘公頼(たちばなのきみより)は、氏家公頼のことで、宇都宮朝綱の三男で、源頼朝の上洛にも同行した有力御家人のひとり。
勝山城(さくら市)を本拠とし、建久6年(1195年)の鶴岡八幡宮の流鏑馬でも射手を務めた弓の達人。

奥の院は62年に一度だけ開帳と伝わりますが、平成27年の御開帳は明治12年の御開帳以来で、136年ぶりでした(元禄15年に奉納された木造地蔵菩薩像などを発見)。

佐貫観音
佐貫観音
名称 佐貫観音/さぬきかんのん
所在地 栃木県塩谷郡塩谷町佐貫799
関連HP 塩谷町公式ホームページ
電車・バスで 東武鉄道新高徳駅からタクシーで15分
ドライブで 東北自動車道矢板ICから約18km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 塩谷町産業振興課 TEL:0287-45-2211/FAX:0287-45-2524
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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