向島百花園

向島百花園

東京都墨田区にある都立公園が向島百花園(むこうじまひゃっかえん)。江戸の町民文化が栄えた文化文政期、骨董商・佐原鞠塢(さわらきくう)が日本橋住吉町の店を閉め、文人たちの協力を得て、文化元年(1804年)に開園した庭園がルーツ。

江戸の文人文化・町人文化が花開いた場所

もとは旗本・多賀家の屋敷跡だった場所で、佐原鞠塢(さわらきくう=奥州仙台の農民の出)は、文人・狂歌師で御家人の大田南畝(おおたなんぽ=蜀山人)、漢詩人の大窪詩仏(おおくぼしぶつ)、絵師で俳人の酒井抱一(さかいほういつ)、書家、儒学者、文人の亀田鵬斎(かめだぼうさい)など当時の名だたる文人達と交流があり、開園にあたっては、園の造作や植樹などで文人たちのアドバイスを活かしています。
庭門の「花屋敷」の扁額は、大田南畝(​蜀山人)の筆(東京大空襲で焼失後の複製)。
屋敷の敷の字が崩し文字なのは、御家人の大田南畝(​蜀山人)、酒井抱一は武士でしたが、町民には屋敷を有することが許されない時代で、あえて崩し文字としたのだと推測できます。
左右の柱にかかる「春夏秋冬花不断」、「東西南北客争来」の聯(れん)は、大窪詩仏の筆(戦後の復興)。

佐原鞠塢は、和漢の古典の知識を生かして「春の七草」、「秋の七草」、そして『万葉集』の花を植栽。
園内の茶店では、隅田川焼(焼物)や「寿星梅」という梅干しなどを名物として販売し、庶民の花見の場所として賑わいをみせました。
まさに江戸後期における文人文化・町人文化が花開いた場所といえるのです。

春の七草=芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう=母子草)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ=田平子)、菘(すずな=蕪)、蘿蔔(すずしろ=大根)=四辻善成(よつつじのよしなり)の源氏物語の注釈書『河海抄』(かかいしょう)で、春の七草を記載し、一般化。
1月7日の人日(じんじつ=五節句の一つ)に七草粥を味わい、厄を除け、健康を願います。

秋の七草=萩(はぎ)、薄(すすき)、桔梗(ききょう)、撫子(なでしこ)、葛(くず)、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)=奈良時代の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)が『万葉集』で選定。

有名なハギのトンネルは9月が見頃

向島百花園には、開園から200年以上立った今も、『万葉集』や中国の古典に詠まれた野草が自然のままに自生し、その名の通り、四季百花が咲き乱れた文人趣味を色濃く反映する景観が生み出されています。

開園当時は「新梅屋敷」とも呼ばれるほどウメで名高く、その後、藤棚やハギのトンネルが名物になっています。
明治43年の隅田川大洪水、そして昭和20年の東京大空襲で壊滅的な打撃を受けましたが、向島の地元住民たちが自主的に再建を進め、文化遺産としての姿を留めることができたのです。

有名なハギのトンネルは、全長30mほどのトンネルですが、開花期には葉の緑と花の赤紫とのコントラストが際立ち、格別美しさ。
ハギの見頃は、例年9月の彼岸の頃。

つる物棚には、ヒョウタン、ヘチマ、ヘビウリなどが絡みつき、例年、7月頃に開花し、8月〜9月にかけて、結実して棚から下がります。

庭園の年中行事も『春の七草展示』、『虫ききの会』、『お月見の会』など、風流なものが多く、江戸の庶民文化を今に伝えています。

園内にある「茶亭さはら」は、佐原家の末裔が営む茶店です。

向島百花園
名称 向島百花園/むこうじまひゃっかえん
所在地 東京都墨田区東向島3-18-3
関連HP 東京都公園協会公式ホームページ
電車・バスで 東武スカイツリーライン東向島駅から徒歩8分。京成電鉄押上線京成曳舟駅から徒歩13分
駐車場 なし
問い合わせ 向島百花園サービスセンター TEL:03-3611-8705
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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