東京都三鷹市大沢、国立天文台三鷹キャンパス内にある古墳が、天文台構内古墳。史跡指定はされていませんが、全国に6基しか確認されていない上段が円形、下段が方形という上円下方墳(じょうえんかほうふん)。昭和45年、三鷹市市史編纂委員会の発掘調査で、古墳であることが判明しています。
国立天文台三鷹キャンパス内に、上円下方墳が!
7世紀半ば〜後半の築造で、1段目は一辺27m〜28m、2段目は直径18m。
複室構造の横穴式石室を備えています。
江戸時代後期、文化文政年間(1804年〜1829年)に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』、そして江戸のガイドブックともいえる『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)には世田谷領大沢村の富士塚と記載されているので、富士講による富士山信仰の隆盛を受けて、古墳を富士塚として転用していたことがわかります(そのために江戸時代は、富士山と同様に女人禁制でした)。
近くを流れる野川沿いに武蔵野台地の縁(へり)にあたる国分寺崖線があり、崖線の斜面を利用して出山横穴墓群など7群の横穴墓が形成されています(出山横穴墓群8号墓は公開施設に)。
その横穴墓に埋葬された人々の首長にあたる人物の墓で、同じ上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳(府中市)とともに、律令時代を迎える直前、多摩地区の終末期古墳のひとつに数えられています。
古墳の規模などから、武蔵府中熊野神社古墳の被葬者に次ぐ権力者で、蔵府中熊野神社古墳の少し後に築造されたものと推測されています。
天文台構内古墳 | |
名称 | 天文台構内古墳/てんもんだいこうないこふん |
所在地 | 東京都三鷹市大沢2-21 |
電車・バスで | JR武蔵境駅から小田急バス狛江北口行きで13分、天文台前下車、徒歩1分 |
ドライブで | 中央自動車道調布ICから約2km |
駐車場 | 国立天文台駐車場(有料)を利用 |
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