東京都世田谷区喜多見5丁目にある名主屋敷や民家からなる世田谷区立の民家園が、次大夫堀公園民家園(じだゆうほりこうえんみんかえん)。江戸時代後期〜明治時代初期の世田谷の農村風景と次大夫堀を復元した公園内に、古民家や水田が配置されています。
旧大蔵村の名主の家などを移築保存
次大夫堀は、江戸時代初期、小泉次大夫(こいずみじだゆう)の指導で開削された農業用水(六郷用水)の別名です。
公園内には、名主屋敷(旧安藤家住宅主屋、旧秋山家住宅土蔵)、民家2棟(旧加藤家住宅主屋、旧城田家住宅主屋)、旧谷岡家住宅表門、消防小屋と火の見櫓を復原し、次大夫堀(六郷用水)や水田とあわせて、江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現。
しかも古民家は、維持管理を兼ねて囲炉裏には毎日火が焚かれ、民具が配される「生きている古民家」。
「暮らしの歳時記」として、稲作、畑作、養蚕、麦作や各家で作られていた保存食などの農産加工を再現した「農事暦」と、年間を通じて農家や村の職人などが行なっていた五月節句、七夕、盆、十五夜、秋彼岸、十三夜、荒神様の旅立ち、フイゴ祭り、恵比須講、コト八日、正月準備などの行事を再現した「民間暦」を再現展示しています。
世田谷区内には次大夫堀公園民家園のほか、旧長崎家住宅主屋と土蔵1棟、椀木門を復原し、江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現した岡本公園民家園(東急田園都市線・大井町線二子玉川駅から徒歩20分)があります。
旧加藤家住宅主屋
江戸後期に建てられたと推定されている喜多見の農家・加藤家の主屋(田の字型とも呼ばれる形式)。
加藤家では明治時代に養蚕を盛んに行なっていたため、養蚕のための様々な工夫が随所に残されています。
旧秋山家住宅土蔵
深沢に、文政13年(1830年)頃に建築された秋山家の穀倉。
往時には秋山家屋敷の入口脇に建っていました。
次大夫堀公園民家園では名主屋敷の外倉として復元
旧城田家住宅主屋
喜多見の登戸道と、筏道が交わるところに建ち、農業の傍らで酒屋を営んだ城田家の主屋。
園内の売店として活用されています。
旧谷岡家住宅表門
深沢に天保9年(1838年)に建てられた谷岡家の表門。
次大夫堀公園民家園では正門の脇に配置され、農具などの展示室として活用されています。
旧安藤家住宅主屋・内倉
江戸時代後期に建てられた旧大蔵村の名主(なぬし)の家。
安藤家では天保5年(1834年)頃に村名主となり、主屋を建てたと推定されています。
役宅から眺める庭、表門など、かつての安藤家の屋敷配置をできる限り再現。
消防展示小屋と火の見櫓
村々で組織されていた、消防組の組員詰所を再現。
櫓の半鐘は、かつて宇奈根地区で使われていたもの。
次大夫堀
小泉次大夫の指揮で、慶長2年(1597年)から15年を費やして開削した農業用水。
多摩川の水を取水し、世田谷領(現在の狛江市の一部・世田谷区・大田区の一部)と六郷領(現在の大田区)を流れる、全長約23.2kmの用水。
正式名は六郷用水で、昭和55年にかつての流路600mを公園内に復原。
次大夫堀公園民家園 | |
名称 | 次大夫堀公園民家園/じだゆうほりこうえんみんかえん |
所在地 | 東京都世田谷区喜多見5-27-14 |
関連HP | 世田谷区公式ホームページ |
電車・バスで | 小田急線成城学園前駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東名高速道路東京ICから約3km |
駐車場 | 30台/有料 |
問い合わせ | 次大夫堀公園民家園 TEL:03-3417-8492/FAX:03-3417-8492 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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