大石良雄外十六人忠烈の跡

大石良雄外十六人忠烈の跡

東京都港区高輪1丁目、都営高輪アパート内にあるのが、大石良雄外十六人忠烈の跡(おおいしよしおほかじゅうろくにんちゅうれつのあと)。港区高輪地区総合支所、港区立高松中学校一帯は、熊本藩細川家下屋敷跡で、吉良邸討ち入り事件を起こした赤穂浪士16人が切腹した場所です。

大石内蔵助ら17人の赤穂浪士が自刃した熊本藩下屋敷の跡

旧細川邸のシイ

元禄14年(1701年)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発し、吉良邸の討ち入りという大事件に発展した赤穂事件の際、大石内蔵助(おおいしくらのすけ=大石良雄)ら17名は幕府の命により細川家に預けられ、細川家では高輪にあった下屋敷で保護していました。
同様に三田の伊予松山藩屋敷(現・三田2丁目、イタリア大使館)には大石主税(おおいしちから=大石良金)ら10名、三河岡崎藩芝中屋敷(現・芝5丁目)には間光興(はざまみつおき)ら9名、そして長門長府藩麻布上屋敷(現・六本木6丁目、六本木ヒルズ内の毛利庭園一帯)には岡島常樹 (おかじまつねしげ)ら10名が預けられ、謹慎生活を送っていました。

元禄16年2月4日(1703年3月20日)、幕府から切腹の沙汰が通知され、その日のうちに全員が切腹し、浪士たちは、江戸高輪の泉岳寺(曹洞宗)に葬られています。

「大石良雄外十六人忠烈の跡」碑は平成10年、東京都港区教育委員会が設置したもの。
私有地のため、門外からの見学のみとなります。

港区高輪地区総合支所横にある旧細川邸のシイは、熊本藩細川家下屋敷にあった巨木が現存するもの。

大石良雄外十六人とは!?

1. 大石内蔵助(良雄)
2. 吉田忠左衛門(兼亮)
3. 原惣右衛門(元辰)
4. 片岡源五右衛門(高房)
5. 間瀬久大夫(正明)
6. 小野寺十内(秀和)
7. 間喜兵衛(光延)
8. 礒貝十郎左衛門(正久)
9. 堀部弥兵衛(金丸)
10. 近松勘六(行重)
11. 富森助右衛門(正因)
12. 潮田又之丞(高教)
13. 早水藤左衛門(満尭)
14. 赤埴源蔵(重賢)
15 奥田孫太夫(重盛)
16. 矢田五郎右衛門(助武)
17. 大石瀬左衛門(信清)

大石良雄外十六人忠烈の跡
名称 大石良雄外十六人忠烈の跡/おおいしよしおほかじゅうろくにんちゅうれつのあと
所在地 東京都港区高輪1-6-25
関連HP 港区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄白金高輪駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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