東京都港区麻布十番2丁目、大黒坂上り口の園地(パティオ十番)に置かれているのが、赤い靴の女の子・きみちゃん像。野口雨情作詞の童謡『赤い靴』に登場する赤い靴の女の子・岩崎きみは、実はアメリカには渡ることなく、麻布永坂町50番地にあった麻布教会堂の永坂孤女院で暮らし、9歳で没していたのです。
「赤い靴の女の子」は麻布十番の孤児院で没していた!
童謡『赤い靴』の女の子、岩崎きみ(佐野きみ)は、明治35年7月15日、日本平の麓、静岡県安倍郡不二見村(現・静岡市清水区宮加三)に生誕。
岩崎きみは、2歳の時に、母・岩崎かよと北海道・函館に渡ります。
母親に再婚の話がもちあがり、かよは夫の鈴木志郎と開拓農場 (現・北海道留寿都村)に入植することを決意しますが、厳しい生活にきみを伴うのは無理と判断したかよは、やむなく3歳のきみをアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女にします。
明治40年、静岡から呼び寄せた弟も失ったかよは、開拓小屋の火事など努力の甲斐なく失意のうちに札幌に引き上げます。
牧師夫妻はきみちゃんを連れて帰国する予定でしたが、帰国前にきみちゃんが当時不治の病だった結核に冒され、渡米することなく、東京麻布「永坂孤女院」(現在の十番稲荷神社の建つ地にあったメソジスト系の教会の孤児院)に6歳のときに預けられ、9歳で死去しているのです(青山霊園にある鳥居坂教会の墓地に佐野きみの名で眠っています)。
永坂孤女院は、麻布教会堂(現在の日本キリスト教団鳥居坂教会)が近隣の貧困児童の教育施設、孤児院として設立した施設。
童謡『赤い靴』は、牧師に預け、渡米したと信じていたかよからの話をもとに、野口雨情が書いたため、横浜から異人さんに連れられて渡米したというストーリーになっていますが、実は麻布十番で簿短い生涯を終えていたのです。
平成元年2月28日、麻布十番商店街のパティオ十番に建立されたのが「きみちゃん像」。
像は、二科会の彫刻家・佐々木至(ささきいたる)の制作。
像高60cmで、頭部と足はブロンズ、胴部分が赤御影石、台座は御影石でできています。
赤い靴の女の子「きみちゃん」の像は、麻布十番(「きみちゃん像」)のほかに、生まれ故郷の静岡県静岡市・日本平山頂(「赤い靴母子像」)、歌詞に読まれた横浜の波止場のあった山下公園(「赤い靴はいてた女の子像」)、初めて北海道の地を踏んだ函館(「赤い靴の少女像」)、母かよさんが入植した開拓農場のあった北海道留寿都村・赤い靴公園(「母思像」)、かよさん夫妻が晩年を過ごした北海道・小樽市の運河公園(「赤い靴 親子像」)、女の子の義父の出身地の青森県鰺ヶ沢町(「赤い靴 親子三人像」)と全国ゆかりの地に7基も築かれています。
赤い靴の女の子・きみちゃん像 | |
名称 | 赤い靴の女の子・きみちゃん像/あかいくつのおんなのこ・きみちゃんぞう |
所在地 | 東京都港区麻布十番2-3 |
関連HP | 港区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ・都営地下鉄麻布十番駅から徒歩7分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag