妙行寺・お岩の墓

妙行寺・お岩の墓

東京都豊島区西巣鴨4丁目、東京さくらトラム(都電荒川線)沿いに建つ法華宗陣門流の寺が、妙行寺。その境内にあるのが、お岩の墓。雑司ヶ谷四谷町での怪談『四谷怪談』の主人公ともされるお岩(於岩)ですが、怪談はあくまで創作で、真相は夫婦仲睦まじかったと伝えられています。

お岩の墓に熱心に祈れば必ず願い事が叶うとも

妙行寺・お岩の墓

妙行寺は慶長9年(1604年)、赤坂に創建され、寛永元年(1624年)、四谷鮫ヶ橋南町に、さらに明治42年に現寺地に移転していますが、旗本・田宮又左衛門の娘で、養子の田宮伊右衛門の妻・お岩(於岩)は、寛永13年2月22日(1636年3月29日)没なので、四谷鮫ヶ橋南町(現在のJR信濃町駅周辺、南元町)時代のこと。

お岩(於岩)の没後、田宮家ではいろいろと災難が続いたため、菩提寺である妙行寺4代の日遵上人が法華経を上げ、一切の因縁が取り除かれたとされ、お岩の墓に熱心に祈れば必ず願い事が叶うといわれています。

200年ほど経た文政10年(1827年)、町年寄が幕府に提出した『文政町方書上』のなかの『於岩稲荷由来書上』には、貞享年間(1684年 〜 1688年)、四谷左門町に田宮伊右衛門と妻のお岩の話が記載されていますが、すでに妙行寺の伝承とも異なる内容になっています。
鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は『文政町方書上』の2年前に、文政8年(1825年)、江戸中村座で初演されているので、その影響を受けたとも推測されるほか、田宮家に伝わる伝承としてはお岩は貞女で、夫婦仲も睦まじかったということなので、まさに後世の創作ということになります。
しかもお岩は、献身的に夫を支えて田宮家を復興したと伝えられているので、『四谷怪談』はまったくのフィクションということになります(ただし、妙行寺境内の解説版には、仲が悪かったと記載されています/江戸時代初期の旗本の夫婦の話なので、記録などはありません)。

新宿区左門町の於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ)は、田宮家の屋敷神として祀られていた稲荷神の祠が起源とされ、『四谷怪談』の隆盛後、於岩稲荷と称されるようになったもの。
その近くの於岩稲荷陽運寺(日蓮宗)は昭和になってからの創建で、田宮家の菩提寺は、この妙行寺です。

妙行寺・お岩の墓
妙行寺・お岩の墓
名称 妙行寺・お岩の墓/みょうぎょうじ・おいわのはか
所在地 東京都豊島区西巣鴨4-8-28
電車・バスで 都営地下鉄西巣鴨駅から徒歩5分
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