大久保利通の墓

大久保利通の墓

東京都港区南青山2丁目、青山霊園の一角にあるのが、大久保利通の墓。霊園北部の中央にあり2区1種イ15~19側1番、 西郷隆盛、木戸孝允(きどたかよし)とともに維新の三傑と称されるのにふさわしい偉容を誇り、鳥居をくぐった先に墓があります。

死後3日後に国葬級の葬儀が行なわれ、青山霊園に埋葬

大久保利通は、文政13年8月10日(1830年9月26日)、薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に生誕。
文久元年(1861年)、島津久光(しまづひさみつ=最後の藩主・島津忠義の父で、後見人)の命を受け京に上り、公家・岩倉具視(いわくらともみ)らとともに公武合体を目指します。
慶応2年(1866年)の第二次長州征討には薩摩藩の出兵を拒否、武力倒幕路線に転向し、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、王政復古の大号令(京都御所での明治天皇の勅令)の実現につながります。
その後、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通らの徳川排斥派と徳川家・旧幕府勢力の対立から戊辰戦争へと発展。

明治維新後は参議として新政府に参加し、版籍奉還、廃藩置県など中央集権体制の確立に尽力、明治4年に大蔵卿、岩倉使節団の副使として外遊し、欧米の最新情報を目にしています(明治6年、帰国)。
朝鮮出兵を巡る征韓論論争では、同郷の西郷隆盛、そして岩倉具視ら征韓派と対立し、明治六年政変で西郷隆盛を失脚させ、自らは初代内務卿に就任して、学制や地租改正、徴兵令を施行。
さらに富国強兵、殖産興業を国是に近代化を進めています。
明治7年、不平士族の佐賀の乱を鎮圧、明治10年の西南戦争も京都で政府軍の指揮をとるなど、内乱を制圧。
同時に現在に至る官僚機構の基礎を築いています。

明治11年5月14日、自邸(麹町三年町)から馬車で皇居に向かう途中、紀尾井坂付近の清水谷(東京都千代田区紀尾井町)で、石川県士族・島田一郎を中心とする6人の不平士族に暗殺(紀尾井坂の変)されています。
享年49(満47歳)という若さでした。

大久保利通は、薩摩・長州藩出身者を中心とした藩閥による専制政治の象徴とされ、暗殺者が手にする「斬奸状」(暗殺の趣意を記した文書)には公(おおやけ)の議論を途絶えさせ、民権を抑圧し、政事を私物化しているなど5つの非難が列挙されていました。

明治11年5月17日、巡査の初任給が6円であった時代に総経費1万5000円という莫大な費用が投入され、日本で最初の国葬ともいえる大久保利通の葬儀が行なわれています(正式な国葬は明治16年の岩倉具視が最初で、大久保利通の場合は「天皇と国民が一人の人物を悼む儀式」、つまりは国葬の原型となる葬儀でした)。
死後3日後に大久保の自邸から青山霊園までパレードを伴ってという国葬級の大葬儀を行なう目的は、まだまだ不平士族が多く、政権が不安定だったことを証明しています。

「自分ほど西郷を知っている者はいない」としながら、結果として西郷隆盛の敵となった大久保利通の墓は、故郷・鹿児島にはなく、銅像が建立されるのも西南戦争百周年となった昭和54年のこと。
明治の近代化に尽力した大久保利通ですが、鹿児島では長らく、西郷隆盛が愛されてきたことがよくわかります。

同じブロックには斎藤茂吉の墓もあり、南側を通る東三通りを東に歩けば、上野英三郎の墓・忠犬ハチ公の碑も。

大久保利通の墓
名称 大久保利通の墓/おおくぼとしみちのはか
所在地 東京都港区南青山2-32-2
関連HP 東京都公園協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ外苑前駅から徒歩7分。東京メトロ、都営地下鉄青山一丁目駅から徒歩9分。東京メトロ乃木坂駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 青山霊園管理所 TEL:03-3401-3652
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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