日本最初の都市公園 東京五公園とは!?

東京五公園

明治6年1月15日の太政官布達第16号「公園設置ニ付地所選択ノ件」で東京府に誕生した5ヶ所の公園が近代における日本最初の公園。浅草公園(浅草寺)、上野公園(現・上野恩賜公園/寛永寺)、芝公園(増上寺)、深川公園(富岡八幡宮)、飛鳥山公園(王子権現)と、寺の境内地を公園にしたものです。

浅草公園

所在地:東京都台東区浅草
開園:明治6年10月19日/公共団体所有の社寺地財産処分の政府通牒により昭和22年5月1日公園から除外
概要:明治4年、浅草寺の境内地を寺社領・境内地の上地令で公収し、明治6年に公園を開設。
さらに明治17年までに7区に区分される地域に拡張し、浅草公園六区は東京随一の繁華街へと発展。
戦後、再び浅草寺の境内地に戻っています。

浅草寺

浅草寺

東京都台東区浅草(あさくさ)にある東京で最古の寺が浅草寺(せんそうじ)。本尊は聖観世音菩薩で浅草観音とも通称されています。浅草のシンボル雷門から参道の仲見世を抜けると宝蔵門、左手には五重塔、そして正面に大本堂があります。今も「浅草の観音様」

上野公園(現・上野恩賜公園)

所在地:東京都台東区上野公園
開園:明治6年10月19日
概要:明治6年、戊辰戦争の上野戦争で荒廃した寛永寺の境内地を、寺社領・境内地の上地令で公収し、公園を開設。
明治8年、不忍池も公園地に加わって、東京府随一の公園に拡大。
明治15年には国立博物館と付属動物園が開園。
明治23年に帝室御料地となり宮内省の管轄となり、大正13年1月26日、東京市に下賜されたため上野恩賜公園という名称に改正。

上野恩賜公園

上野恩賜公園

総面積は53haにわたる広大な上野恩賜公園。江戸時代までは徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺の境内で、多くの堂塔、そして塔頭が建ち並んでいた境内でした。不忍池に弁天堂や、上野動物園の中に五重塔があるのもそのため。明治6年に日本初の都市公園に指定。

芝公園

所在地:東京都港区芝公園1・2・3・4丁目
開園:明治6年10月19日
概要:明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、塔頭などの廃寺となった増上寺境内地を寺社領・境内地の上地令で公収し、明治6年に公園を開設。
明治35年に運動器具が備えられ、東京の公園における運動施設の始まりに。
旧台徳院霊廟惣門は、かつてこの地にあった徳川2代将軍・徳川秀忠の台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)の門。

芝公園

芝公園

東京都港区、増上寺周辺に広がる公園が芝公園。正式には都立芝公園、港区立芝公園の総称です。元々は増上寺境内の敷地を公園としたもので、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、塔頭などの廃寺となった境内地を明治6年10月19日に公園としたもの。戦後の政教

深川公園

所在地:東京都江東区富岡1-14
開園:明治6年10月19日
概要:明治初年の廃仏毀釈、神仏分離の荒波で、神仏習合時代に富岡八幡宮の別当(神社を管理する寺)だった永代寺は廃寺に。
その境内地を寺社領・境内地の上地令で公収し、明治6年に公園を開設。
明治42年、東京市立図書館(深川図書館)開設。

深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)

富岡八幡宮の西に位置する深川公園。入口に自転車が駐輪され、子供を遊ばせる姿を目にする公園ですが、江戸時代は富岡八幡宮の別当(神社を管理する寺)、永代寺がありました。往時にはこのあたりが海岸線で、永代島という島の寺という意味で、永代橋の名の起

飛鳥山公園

所在地:東京都北区王子1-1
開園:明治6年10月19日
概要:明治初年の神仏分離で、神仏習合の王子権現社は王子神社へと改称され、さらに境内地だった飛鳥山は寺社領・境内地の上地令で公収され、明治6年に公園を開設。
明治34年から昭和初期にかけて、渋沢栄一の邸宅も設置されていました。

飛鳥山公園

飛鳥山公園

東京都北区、JR王子駅前にある桜、アジサイの名所としても名高い区立公園が、飛鳥山公園(あすかやまこうえん)。明治6年、上野、芝、浅草、深川公園とともに太政官布達で開園した日本最初の公園。王子駅から高台の園地へは、あすかパークレール「アスカル

太政官布達第16号 府県ヘ 公園設置ニ付地所選択ノ件

三府ヲ始人民輻輳ノ地ニシテ古来ノ勝区名人ノ旧跡等是迄群集遊観ノ場所(東京ニ於テハ金龍山浅草寺東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂社清水ノ境内嵐山ノ類総テ社寺境内除地或ハ公有地ノ類)従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ公園ト可被相定ニ付府県ニ於テ右地所ヲ択ヒ其景況巨細取調図面相添ヘ大蔵省ヘ可伺出事

日本最初の都市公園 東京五公園とは!?
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六区ブロードウェイ(浅草六区通り)

六区ブロードウェイ(浅草六区通り)

東京都台東区浅草1丁目・2丁目、浅草寺の西側一帯は大正から昭和にかけて東京の娯楽の中心地だった地。浅草オペラや軽演劇もここから生まれ、エノケンこと榎本健一から萩本欽一、ビートたけしなど多くの芸能人を輩出。現在も六区ブロードウェイ商店街振興組

 

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