日本国内には16万基の古墳がありますが、現存する100m以上の古墳は、260基ほど。100m以上の巨大古墳でも私有地であれば、道路の開削、土を取るための削平、市街地化などで消えてしまうことがあります。大阪府堺市西区の大塚山古墳は、墳丘長168mという巨大古墳、前方後円墳の円形がわずかに道路形状として残存しています。
現存していたなら世界文化遺産だった可能性も大!
大阪府堺市西区上野芝町4丁にある上野芝町公園は、削平されているものの、かつては墳丘長168mという巨大な前方後円墳だった大塚山古墳の前方部(幅113m・高さ12m)に一部。
その東側の道路がカーブする部分が径96mという後円部の縁です。
世界文化遺産に登録される上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)の南西400mに位置するので、現存していれば百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の1基として構成資産にもなっていたかもしれません。
実は百舌鳥古墳群、第二次世界大戦後に宅地開発が急速に進んだため、半数以上の古墳が破壊されてしまっているのです(戦後の混乱期、百舌鳥古墳群でも古墳から土取などが頻繁に行なわれました)。
昭和30年頃に、戦後、東大で歴史学を学修した三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)がわざわざ大塚山古墳を視察に訪れていることからも、その重要性がわかります。
いたすけ古墳も建設会社と堺市長が契約を結んで破壊直前までいきましたが、研究者と市民、三笠宮殿下が連帯して保存運動を展開し、破壊を免れました(戦後の、古墳を保存するナショナルトラストの走りとも)。
大塚山古墳も墳丘の周囲には濠が巡らされ、百舌鳥古墳群でも5番目の大きさを誇るという前方後円墳でしたが昭和20年代に宅地造成で失われています。
過去の発掘調査では武器、武具などの複製品が多く出土し、百舌鳥古墳群のなかでも早期の5世紀前半の築造と推測されています。
すぐ西側には墳丘長50mの帆立貝式古墳のかぶと塚古墳もあり、大塚山古墳の陪塚(ばいちょう)ではないかと推測されますが、こちらも市街化して姿をとどめていません。
百舌鳥古墳群で最も海側(西側)の墳丘長110mの長山古墳も墳丘は昭和初期までに大部分が削られており、その面影はありません。
【地図を旅する】vol.16 巨大古墳が消えた街 | |
所在地 | 大阪府堺市西区上野芝町4丁550-1 |
場所 | 上野芝町公園 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag