まだ東海道線が開通していなかった明治初期、熱海の大手旅館の主人たち、京浜の実業家が発起人となり、小田原と熱海を結ぶ鉄道の敷設を考えます。それが客車を人力で押すという豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)で、現在の神奈川県道470号(小田原湯河原線)がその廃線跡です。
人間が客車を押す珍しい鉄道の廃線跡

小田原と熱海・伊豆方面を結び海岸沿いには走っているのが国道135号ですが、東海道本線・根府川駅あたりから少し高台をクネクネと南下するのが神奈川県道470号(小田原湯河原線)です。
お盆や連休など、国道135号の渋滞時には「抜け道」として知られ、「抜け道MAP」には必ず掲載されてきたルートですが、この細い県道が豆相人車鉄道の廃線跡だと知る人はあまりいません。
神奈川県道470号(小田原湯河原線)は、かつての国道135号のため、旧国道という人もいますが、根府川で国道135号を離れ、湯河原町吉浜で国道に合流するまでの間が、かつて豆相人車鉄道が走った道ということになります。
人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が豆相人車鉄道で、明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌明治29年3月に熱海~小田原間が全通しています。
開通以前、熱海にはすでに30軒もの旅館があり、湯治客や湯浴み客で賑わっていましたが、小田原から先の交通手段は、海沿いの険しい熱海街道を徒歩、あるいは駕籠か人力車利用という時代でした。
小田原〜熱海間25.6km、駕籠で6時間を4時間と2時間ほど短縮しています(現在は東海道本線の普通列車で23分)。
1車両に客は平均6人、それを2~3人の車夫が押すというスタイルですが、貴賓の来客の場合は車夫も正装し、上等車両で運転されています(車両の等級は上等、中等、下等)。
人が押すので脱線もあったのですが、6両編成で1日6往復、駅と時刻表が定められ、まさに鉄道だったのです。
急な上り坂になると、客も降りて一緒に押すというのどかな風景が展開しましたが、明治41年8月に蒸気機関車を導入しての軽便鉄道(熱海鉄道)に転身して、人車鉄道は姿を消しています。
その熱海鉄道も大正12年の関東大震災で、大きな被害を受け(並走する東海道本線も大被害が発生)、復旧を断念。
後に国道、現在の県道に転用されたのです。

| 【地図を旅する】vol.39 小田原と熱海を結んだ「豆相人車鉄道」廃線跡は県道に! | |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |













