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徳島城・本丸跡

標高61mの城山に築かれたのが本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸の山城部分。徳川幕府の安定とともに、徳島藩の藩政は山麓の御殿へと移り、山上の施設はいざという時の備えとなりました。山城部分で最大の面積を誇ったのが本丸で、御座敷と御城山定番の詰所である御留守番所などが築かれていました。

城山の山頂に位置する徳島城の本丸跡は広場になっている

さらに防御機能として、弓櫓、東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が配されていました。
通常は武器庫として機能した櫓群です。

本丸の御座敷にも藩主の部屋や台所が用意されていましたが、藩主が本丸に上ることが稀なことでした。
本丸には天守はなく、一段低くなった東二の丸に天守が建てられていたことも徳島城の特長です。

本丸跡の建物群はすべて破却され、現在は広大な広場になっています。

徳島城・本丸跡
名称徳島城・本丸跡/とくしまじょう・ほんまるあと
所在地徳島県徳島市徳島町城内1
関連HP徳島市公式ホームページ
電車・バスでJR徳島駅から徒歩5分
ドライブで徳島自動車道徳島ICから約3km。または、神戸淡路鳴門自動車道鳴門ICから約11km
駐車場徳島中央公園東側駐車場(89台/有料)、西駐車場(116台/有料)
問い合わせ徳島市公園緑地課 TEL:088-621-5295/FAX:088-655-4999
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

徳島城・東二の丸 天守跡

城山の頂に位置するのが徳島城の本丸ですが、東側に一段下がった場所にあるのが東二の丸。徳島城ではここに天守が建てられていました。1階は7間四方(一辺が14mの正方形)という大きさでしたが、天守台(天守を支える石垣など)は築かれていませんでした

徳島城・鷲の門

徳島城の築城時には城外だった地に、新しい曲輪である三木郭(みきくるわ)が築かれた際に設けられた門が鷲の門。徳島大空襲で焼失したため、現在の門は徳島市市制100年を記念し、平成元年に復元されたもの。この門をくぐるのが正規の登城道鷲の門をくぐっ

徳島城・下乗橋

徳島藩主・蜂須賀氏の生活空間であり、治世の場でもあった御殿への玄関口にあたるのが下乗橋(小見付橋)。内堀に架かる橋で、往時には太鼓橋でした。下乗橋の名前は、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来。明治2年に花崗岩製の太鼓

徳島城・数寄屋橋

徳島城の御殿の鬼門(北東)にあたる門が城の東を流れる堀川に面した数寄屋門(すきやもん)。旗櫓(はたやぐら)の下に位置するもんは、別名「不明門」(ふみょうもん)と呼ばれ、死者を搬出するなど城内の凶事の際以外には開かれることはありませんでした。

徳島城(徳島中央公園)

国の史跡である徳島城の城跡。その城跡に日露戦争戦勝記念で明治39年に開園したのが徳島中央公園です。自然を生かした城山ゾーンを中心に、旧徳島公園ゾーン、スポーツゾーン、休養ゾーン、河岸ゾーンの5つのゾーンがあります。徳島城の本丸跡は、城山原生

 

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