明治42年に砺波平野市街の中心の出町地区(現在の砺波市本町3-25)に中越銀行本店として建てられた建物を昭和57年に砺波チューリップ公園内に移築し、博物館として再生したのが砺波郷土資料館(旧中越銀行本店)。館内では砺波平野の地理・歴史・民俗などを紹介していますが、とくに砺波平野の散居村などを詳しく解説。
明治42年築の擬洋風の銀行建築が現存
一見すると城郭風な雰囲気の木造土蔵造りで、内部は吹抜けの営業室を中心に、三方をロビーで囲み、化粧材はすべて欅を用いています。
コリント風木柱など、当時欧米で流行のリバイバル的なコリント様式の彫刻を取り入れ、擬洋風の建築となっています。
概括設計は十二銀行(明治33年築)、金沢貯蓄銀行(明治40年築)などを設計した東京建築設計の技師・長岡平三。
実施設計と建築工事総監督は、地元の宮大工・西洋的な建築や設計の技術も習得した藤井助之焏(ふじいすけのじょう/現存する国の重要文化財・旧富山県立農学校本館厳浄閣、砺波市の文化財・千光寺書院も担当)です。
そして棟梁として後に瑞泉寺太子堂を建てた松井角平(現・「社寺の松井」松井建設)が、金庫室の扉は、高岡の鍛冶屋・二上松太郎(現・鋳物メーカー「二上」)が担当。
玄関天井のアカンサス(西洋葉アザミ)をモチーフの漆喰細工は、旧小杉町出身の名工・竹内源造の鏝絵(こてえ)で、ギリシャ彫刻のような雰囲気のレリーフです(千光寺の土蔵にも竹内源造の鏝絵が残されています)。
2階会議室などの金唐革紙(きんからかわし)も実に見事で、金唐革紙の現存する貴重な建築物のひとつ。
外観もタイル貼りではなく、往時には左官仕上げの最高峰である黒漆喰で、屋根も現在の銅板葺きではなく、瓦葺きでした(昭和5年に銅板葺き屋根に、昭和13年にタイル貼りに改修)。
大地主層が設立した中越銀行とは!?
中越銀行は、岡本八平(中越鉄道・富山日報・立山酒造・出町電灯の発起人)、安念次左衛門(中越鉄道の発起人で衆議院議員)ら、中越鉄道の敷設にも尽力した砺波地方の大地主層の発起で明治27年設立(発起人18名のうち半数が中越鉄道発起人)。
当時、豊かな穀倉地帯だった砺波平野は、同時に日清戦争前後には織物産業などの工場制手工業も発展、伏木港を結ぶ鉄道の敷設と、地方銀行の設立は地主層にとっては急務だったのです。
その後、中越銀行は越中銀行、第五十七銀行などを買収して商圏を拡大しますが、昭和18年、戦時下の「一県一行」政策を反映して、高岡銀行、富山銀行、十二銀行の4行が合併し北陸銀行となっています。
小樽にも旧中越銀行小樽支店の建物が現存していますが、これは富山と小樽を結ぶ北前船の交易の歴史を物語るもの(小樽の発展には加賀・能登・越中が関係しています)。
また高岡市川原町の若井家住宅主屋は、旧中越銀行の支店で国の登録有形文化財。
名称 | 砺波郷土資料館(旧中越銀行本店)/となみきょうどしりょうかん(きゅうちゅうえつぎんこうほんてん) |
所在地 | 富山県砺波市花園町1-78 |
関連HP | 砺波市公式ホームページ |
電車・バスで | JR砺波駅から徒歩12分 |
ドライブで | 北陸自動車道砺波ICから約1.9km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 砺波郷土資料館 TEL:0763-32-2339/FAX:0763-32-2436 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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