一般に、集落、主要道路から離れ、鉄道以外では到達できないのが秘境駅ですが、横浜市鶴見区の京浜運河沿いには、なんと、車はもちろん、徒歩でも到達できないという、ある意味「日本一の秘境駅」があります。それが、鶴見線(海芝浦支線)の終着駅、海芝浦駅です。
タイムスリップしたような感覚で到達する終着駅
昭和15年11月1日、浅野総一郎が設立した浅野財閥(浅野セメント、浅野造船所、東洋汽船、鶴見埋立組合)が敷設した鶴見臨港鉄道の駅として開業。
鶴見一帯の海岸部は、「浅野埋立」と称されるように、大正2年〜昭和3年に、浅野総一郎が行なった埋め立てで誕生した臨海工業地帯。
浅野総一郎は、欧米の港湾を視察し、大型の貨物船が岸壁に横付けし、それを動式の機械で積み下ろしし、鉄道貨車と連携して輸送しているのを見て、日本にもこのシステムをと、安田財閥総帥・安田善次郎に相談し、浅野総一郎、安田善次郎、さらに渋沢栄一(渋沢財閥総帥)らも加わって鶴見埋立組合を結成、鶴見・川崎埋立を出願するのです(周辺の漁業保証を経て、大正2年に埋立許可)。
こうして鶴見海岸部の埋め立て、運河化が進むと、そこに敷設する鉄道の必要性が出てきます。
浅野総一郎は、鶴見臨港鉄道を設立し、海岸ギリギリの海芝浦まで鉄道を敷設したのです。
一帯の地名も浅野総一郎の家紋の扇から扇町、末広町(扇は末広がり)と名付けられ、海芝浦駅は末広町に位置しています。
この埋立地は、「京浜工業地帯の父」と称される浅野総一郎没後(昭和5年没)、日本鋼管、三菱石油など各社に売却され、鉄道終着駅・海芝浦駅周辺の土地は、結果として東芝の土地に。
現在は、東芝エネルギーシステムズ京浜事業所の土地となっているため、一般の人は工場敷地に立ち入ることができないため(駅の出口はそのまま工場の門)、駅の改札を出ることもできないことになるのです(東芝エネルギーシステムズ京浜事業所への来訪者は新芝浦駅で下車し、正門から入場)。
「近くに鶴見つばさ橋、遠くに横浜ベイブリッジを望むことのできる景観抜群な海に一番近い駅」とういうことから平成12年に関東の駅百選に選定され、わざわざ海芝浦駅に訪れる人も多いため、東芝は、工場敷地の一部を「海芝公園」として整備。
決められた時間にこの「海芝公園」を開放し、一般客が見学ができるように配慮しています。
それでも公園は一般道とは繋がっていないため、車や徒歩での到達は不可。
海芝浦駅までSuicaで乗車した際には、簡易Suica改札機で改札。
乗車券(きっぷ)の場合、帰路は乗車駅証明書発行機で乗車証明書を受取り、下車有人駅で精算を受ける必要があります(現在、自動券売機はありません)。
トイレと飲料自動販売機はあり、一般での利用が可能。
「終点の海芝浦駅から運河を眺めていると、オランダのロッテルダムに言ったような気分になれます」と語っているのは、『時刻表2万km』で海芝浦駅を紹介、その存在を一躍有名にした紀行作家・宮脇俊三。
平成6年に第111回芥川賞を受賞した、笙野頼子(しょうのよりこ)の短編小説『タイムスリップ・コンビナート』は、マグロの夢に導かれるように、中央線沿線にある自宅から電車を乗り継ぎ、鶴見駅から海芝浦駅へ向かうというファンタジックなストーリーで、話題を集めました。
近くに鶴見つばさ橋、遠くに横浜ベイブリッジを望む景観、そして日没の美しさなど、デートスポットとしても最適ですが、JR東日本が積極的にPRしないのは、まさに周辺が東芝の土地、つまりは「日本一の秘境駅」だからです。
車や徒歩で到達不可! 首都圏随一の秘境駅は、横浜市の埋立地に! | |
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