東日本と西日本の境は、糸魚川静岡構造線という地質学的な説、電気の周波数による区分け、通信事業者のNTTによる区分け、さらには気象庁による区分など、様々な区分があり、歴史的にも関西、関東の区分けは大きく移動し、古代には、東海道、鈴鹿峠、近世には箱根峠以西が関西でした。
古代は三関、近世以降は箱根の関が分け目
箱根峠から西が関西と聞くと意外なことかも知れませんが、関の西が表す関(かん)とは関所のこと。
つまり、江戸時代に東海道の関所が箱根に置かれ、関八州(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野=現在の関東地方・1都6県)の入口になったことから、箱根以西は関西、つまりは西日本となったのです。
時を遡って、飛鳥時代の天武天皇元年(672年)頃に設置された、奈良盆地にあった藤原京などを守る三関(さんげん、さんかん)と呼ばれる不破関(ふわのせき=美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関(すずかのせき=伊勢国、現在の三重県亀山市)、愛発関(あらちのせき=越前国、現在の福井県敦賀市)が定められ、その関所の西側が関西だったと、推測できます。
鎌倉時代には、鎌倉幕府との東海道を通じての交流から、三関のうち、鈴鹿峠の重要度が増し、箱根に関所がもうけられる近世まで、中世を通じて鈴鹿峠より以東が関東、以西が関西ということに。
名古屋や東海地方は、中世までは関西、近世以降は関東という歴史的な変遷があったことがわかります。
ちなみにメディア関係者が座右の書とする『広辞苑』では、「中部地方を含めそれ以東(西)」が西日本とし、中部地方が西日本なのか東日本なのか曖昧な表現に・・・。
糸魚川静岡構造線、NTT、周波数での境界
糸魚川静岡構造線という地質学的な分け方なら、北は新潟県糸魚川市を起点に、長野県の諏訪湖を通って、安倍川(静岡県静岡市駿河区)ということになりますが、静岡市駿河区が分断される不思議な事態が生じてしまいます。
糸魚川静岡構造線の走る新潟県糸魚川市の「糸魚川ジオパーク協議会」では、東西の文化的な調査を行ない、灯油タンクも糸魚川市では赤色に対し、隣町の富山県朝日町では青であるなど、同じ北陸でも大きく異ることを紹介しています。
糸魚川静岡構造線の日本海に落ちる場所に、北陸道の東西の交通を分断する親不知子不知(おやしらずこしらず)という難所があったことが文化的な違いを生み出したとも推測できます(TOPの画像は糸魚川での露頭)。
ただし太平洋側、静岡県の東西を分ける国境(西の遠州と東の駿河)は大井川なので、地勢的には、少しおかしなことになります。
江戸時代、箱根峠の馬子らが歌った『箱根馬子唄』(はこね まごうた)に「越すに越されぬ」という歌詞があるように、東海道で東西の交流を分断していたのは安倍川ではなく大井川なので、糸魚川静岡構造線説は、少し分が悪いような気がします。
NTTのサービスの区分は、少し糸魚川静岡構造線説に近く、新潟県、長野県、山梨県、神奈川県までが東日本、それより西側が西日本となっています。
電気の周波では、東日本が50Hz地域、西日本が60Hz地域となっていますが(Hz・ヘルツ=電気のプラス+、マイナス-が1秒間に入れ替わる回数)、およそ富士川(静岡県)と糸魚川(新潟県)を境にしています(新潟県糸魚川市などに混在地帯があります)。
明治28年、東京電燈・浅草発電所で国産初の発電機を設置しましたが、これがドイツ、AEG製(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)の発電機(50Hz)で、以降、東日本標準が50Hzに。
方や、西日本では明治30年、大阪電燈がアメリカ、GE製(General Electric Company)の発電機(60Hz)を増設しますが、以降西日本標準60Hzとなったのです。
当時、AEG(アルゲマイネ・エレクトリツィテート・ゲゼルシャフト)とGE(ゼネラル・エレクトリック)が世界市場をを分け合っていたので、こんな結果が生じたのです。
東日本大震災が発生した際、西日本から東日本へ電力を融通することが難しかったのも周波数の違いによるため。
東京~新大阪間を結んでいる東海道新幹線(西日本標準60Hz専用の車両)も、この「周波数の境界」を越えて走っているので、実は50Hzエリア内の沿線4ヶ所(東京都内の大井FC、神奈川県内の綱島FC、西相模FC、静岡県内の沼津FC)に「周波数変換変電所」を設置して、電力会社から届く50Hzの交流電源を60Hzに変換して走行しているのです。
長野新幹線(北陸新幹線)も軽井沢~佐久平間に架線の電気が50Hzと60Hzで切り替わるポイントがありますが、車両が両周波数に対応するハイブリットな設計になっています。
気象庁の区分が食文化や言葉の境界に近い
西日本と東日本を意外に冷静かつシビアに分割しているのが気象庁です。
気象庁は、福井県、岐阜県、愛知県、三重県までを東日本(関東甲信、北陸、東海地方)、それより西側を西日本(近畿、中国、四国、九州北部地方、九州南部)としています(それ以外に北海道、東北地方の北日本、沖縄・奄美があります)。
古代から中世の三関での関西関東区分に比較的近い区分けで、気象情報で、西日本、東日本という表現の際は、東海地方は東日本だということに(勘違いされている人も多いかと)。
例えば、東日本日本海側というと新潟県を含めた北陸地方(古代の越の国・こしのくに)になるので、中世の三関発想に近いものだと確認できます。
食文化で東西を分ける試みも、想像以上にハッキリと東西が分かれています。
関東風(鰻の蒸す・背開き)VS関西風(蒸さない・腹開き)では、浜名湖〜豊橋あたりで分かれています。
関東の鰹出汁、関西の昆布出汁という出汁の違いは、昆布が奈良時代から朝廷の献上品で、北前船(西廻り航路)による蝦夷地(北海道)の昆布の、大坂・京への流入が背景にありますが(近世までは日本海側の物流量のほうが多かったという歴史的背景も)、東海道線の立ち食いそばの出汁でいえば、関ヶ原あたり、つまりは三関のひとつ、不破関(ふわのせき=美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)で分かれています。
日清食品(本社は大阪市淀川区)から販売されているカップうどん「どん兵衛」は、名古屋地区を境界線として愛知県、岐阜県、三重県を含む東側は東日本向け製品(カップにEの表示)、福井県、富山県、石川県を含む西側は西日本向け製品(カップにWの表示)が販売され、気象庁と同じ判断になっています。
言葉の違いによる区分けもあって、関東では蚊に「刺される」と言いますが、関西では「咬まれる」など、違いがあります。
岐阜県関ケ原町の調査では、「滋賀県に隣接する岐阜県関ケ原町、大垣市上石津町、揖斐川町などの西濃地方の一部は、アクセントが東京式と京阪式の中間形態(垂井式アクセント、京阪式の変種)が見られる」として、やはり、気象庁の判断が文化的な裏付けもあるということに。
「天下分け目の関ケ原」といわれた関ケ原の合戦で、関ケ原が決戦の地になり、両軍が東西に分けられ東軍、西軍といわれたのも、地勢的、歴史的な背景を背負った歴史的必然なのかもしれません。
正解があるわけではありませんが、食文化、言葉の文化を考えると、気象庁の説に軍配が上がるような気がします。
【知られざるニッポン】vol.62 東日本と西日本、関東と関西の境目はどこ!? | |
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