山あり谷ありの日本列島にはたくさんの橋がかかっていますが、歴史的に日本三奇橋といわれるのは、甲州(現・山梨県大月市)の猿橋、防州・岩国(山口県岩国市)の錦帯橋、越中新川郡(富山県黒部市)の愛本橋。愛本橋は現存しないため、その代りに日光の神橋、祖谷のかずら橋などが加えられるのが一般的です。
奇抜な橋を架けたのには理由がある!
江戸時代に築かれた独創的な橋が日本三奇橋といわれています。
ただし、特定の選者がいるわけでもなく、越中の愛本橋が選ばれていますが、広重は五畿七道の68ヶ国と江戸から名所を各1ヶ所選抜した『六十余州名所図会』では、甲斐では「さるはし」を描き、周防では「岩國 錦帯橋」を選んでいますが、越中では「冨山 舩橋」(神通川に架かる日本一の舟橋)を絵にしているのです。
つまり、広重的には「愛本橋より神通川の船橋の方が絵になる」と判断したわけなのですが、橋の構造学的にはやはり愛本橋に軍配が上がります。
猿橋は、岸の岩盤に穴を開け、刎木(はねぎ)を斜めに差し込み、川の上に突き出して、さらにその上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる構造の刎橋(はねばし)。
この上に板を敷いて橋にすれば、橋脚がない橋が完成するというわけで、深い峡谷に橋をかける際や急流の瀬に架橋する場合など、橋脚を立てることが困難な場合に、刎橋が採用されています。
推古天皇の時代に、百済(くだら)の造園博士・志耆麻呂(しきまろ)が、白猿の群れが梢を用いて川を渡るのを見て、架橋したのがルーツともいわれる古いスタイルで、猿橋も渡来人・路子工(みちのこたくみ)が7世紀初頭に架橋したのが始まりとか。
愛本橋も猿橋と同じ刎橋です。
錦帯橋も当初はこの猿橋のような刎橋を想定していましたが、川幅が広いため、杭州の西湖の6連アーチ橋をヒントに架橋しています。
日本三奇橋
猿橋|山梨県
百済(くだら)の渡来人が架橋したという伝承も
所在地:山梨県大月市猿橋町猿橋
構造:木造刎橋
創建:百済(くだら)からの渡来人・路子工(みちのこたくみ)が7世紀初頭に架橋したのが最初とも
内容:甲州街道に架かる全長16間(29m)の矯
同様の刎橋は、駿府・井川上流の井川刎橋、信州・飯田の天竜橋など、江戸時代から明治初年には各地に架橋されています
現在の橋は昭和59年に復元されたもので、国指定の名勝
奇抜な点:橋脚を使わず、両岸から張り出した4層の木で支えるという珍しい肘木桁式
錦帯橋|山口県
美しい連続アーチ橋は岩国のシンボルに
所在地:山口県岩国市岩国1・横山2
構造:木造アーチ橋
創建:延宝元年(1673年)、岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)が岩国城と岩国城下を結ぶ橋として錦川に架橋
内容:それまでの橋は洪水で流されたため、大工の児玉九郎右衛門を甲州に派遣し、猿橋を調査しますが、川幅が200m(川幅が猿橋の6倍以上)もある錦川では刎橋は無理だという結論から、石垣で橋台を強固にした連続アーチ橋を架橋
延宝2年(1674年)、洪水によって石の橋脚が壊れ、木橋が落下したことで、橋台をさらに強化させたところ、昭和25年9月14日のキジア台風で流出するまで、往時の姿をとどめていました
昭和28年に再建工事が完了
奇抜な点:岩国藩に招聘した明の帰化僧で臨済宗黄檗派・独立性易(どくりゅうしょうえき)から教えられた杭州の西湖の6連アーチ橋をヒントに架橋
愛本橋|富山県
長大な刎橋ですが、残念ながら現存せず
所在地:富山県黒部市宇奈月町下立
構造:木造刎橋
創建:参勤交代の難所、黒部四十八ヶ瀬を渡る代わりに黒部川に橋を渡して往来を容易にしようと、寛文3年(1663年)に架橋
内容:愛本橋は、北アルプスの水を集め、暴れ川で知られる黒部川の下流部に架けられた全長206尺(62.4m)という長大な刎橋
初代の刎橋は、明治24年に木造アーチ橋に架け替えられています
現在の橋は昭和47年7月に竣工した12代目で、バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋
2分の1に復元された刎橋は、うなづき友学館内にある「黒部市歴史民俗資料館」に展示されています
奇抜な点:『政隣記』の寛文2年(1662)の条には、「越中新川郡黒部川ハ大河二て水増時ハ往来難成、依之川上之山之根愛本村之所ハ川幅狭し、此所二今年梯を被渡、是より往来之煩なし、是を愛本之橋と云、日本無双の梯也」と記載
その他の候補は!?
神橋|栃木県日光市
世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産
所在地:栃木県日光市上鉢石町
構造:木造刎橋と桁橋の組み合わせ
創建:奈良時代に架橋と伝承、室町時代から橋脚のない橋として知られていました
内容:日光山内への入口、大谷川(だいやがわ)に架かるのが神橋(しんきょう)。
国の重要文化財に指定されています。
現在の橋は明治37年の再建
奇抜な点:刎橋と桁橋を組み合わせた異色の橋
祖谷のかずら橋|徳島県
平氏が源氏の追っ手から逃れるために、切り落とせる橋を創案とも
所在地:徳島県三好市西祖谷山村善徳162-2
構造:かずら橋(吊橋)
創建:平家の落人が追っ手の進入を防ぐためにシラクチカズラで編んだと伝承
内容:3年に一度の掛け替え工事が行なわれていますが、国の重要文化財に指定
奇抜な点:標高600m以上の山に自生するマタタビ科の植物シラクチカズラ(強靱で、腐食しにくのが特長)を編んで橋に
日本三奇橋とは!? その奇抜さに脱帽! | |
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