萩市にある謎の石積み「鵜山のグロ」とは!?

鵜山のグロ

萩市大井地区の海に突き出した半島状の鵜山(うやま)。その鵜山にグロ(壠)と称される謎の石積みがあります。萩に精通する人でもその存在を知らない人が多いという謎の石積み「鵜山のグロ」、その正体とは一体何なのでしょう。地元に伝わる話しでは、「元寇の防塁」ということですが・・・。

元寇防塁なのか、古代の山城「幻の長門城」の跡なのか!?

鵜山のグロ
高代のグロにある石門

鵜山は、 阿武火山群のひとつで、6万8000年前に噴火した火山で大量の溶岩を周囲に流れ出しています。
当初は現在の椿の原生林で知られる笠山にも似た山容でしたが、侵食を受けて現在ののっぺりとした形に。

その海岸線に宇矢崎のグロ、高津古のグロ、さらに山中に高代のグロという3ヶ所のグロが現存していて、たしかに中世の砦(とりで)といった感じもします。

現在は萩が一帯の中心地ですが、それは萩に城が築かれた慶長9年(1604年)以降、つまりは近世のこと。
古代に条里制が敷かれ、阿武国造(あむのくにのみやつこ)が君臨し、古代寺院が築かれ、中世まで一帯の中心だったのは、現在の大井地区(山陰本線長門大井駅が玄関駅)。
条里制の遺構や、大井八幡宮、古代寺院の礎石などが歴史を物語っていますが、その繁栄した大井地区を防備するために築かれた防塁だと推測できます。

現在では夏みかん畑を囲っている石積みで、そのうちの1ヶ所、高代のグロには沖縄のグスクを思わせるようなアーチ式の門も。
グロ(壠)は、物を積み重ねた所の意で、畑と森しかない半島に、石積みが続く不思議な景観です(半島内は道の狭い場所もあるので、車の場合は走行に注意が必要)。

天智2年8月(663年10月)、朝鮮半島での白村江の戦い(はくすきのえのたたかい=倭国・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との間の国際紛争)で倭国が敗れた後、北九州や瀬戸内に築かれた幻の古代山城ともいわれており、残念ながら学術調査もないため、地元でも真相は謎としています。

『日本書紀』の天智天皇4年(665年)と天智天皇9年(670年)に、長門国に城を築いたことが記されていることから、その可能性もあります。
萩の火の山などとする説もありますが、当時、もっとも栄えていたのはこの大井地区。
火の山に築くよりも溶岩崖に囲まれた鵜山に築くほうが理にかなっているような気もします。

鵜山のグロ
高代のグロにある石門
萩市にある謎の石積み「鵜山のグロ」とは!?
名称 鵜山のグロ/うやまのぐろ
所在地 山口県萩市大井港
ドライブで 中国自動車道山口ICから約53km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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