真田庵(善名称院)

真田庵(善名称院)

和歌山県伊都郡九度山町(くどやまちょう)、高野山北麓、九度山にある高野山真言宗の寺、善名称院(ぜんみょうしょういん)。真田昌幸・真田信繁(真田幸村)父子の屋敷跡に建立された寺で、真田庵と通称されています。本尊は地蔵菩薩で、牡丹(ぼたん)の名所としても有名。

真田昌幸・幸村親子が配流された屋敷跡に建つ寺

関ヶ原の合戦後、真田昌幸・真田信繁(真田幸村)父子は、女人禁制の高野山・蓮華定院(精進料理が味わえる宿坊として現存)に蟄居となりましたが、妻を連れていたため山麓の九度山に移り住んだと伝えられています(移り住んだ理由は諸説あり定かでありません)。
寛保元年(1741年)、大安上人が、その屋敷だった跡と伝承される地に地蔵菩薩を安置した堂を建立したのが始まり。

真田信繁(真田幸村)は、この地で困窮生活を送ったため、兄の松代藩主・真田信之(さなだのぶゆき=真田昌幸の長男で、関ヶ原の戦いでは東軍)に40両を送るよう依頼しています。
父・真田昌幸は、慶長16年6月4日(1611年7月13日)、九度山の屋敷で病死。

真田庵(善名称院)の本堂は三層城閣風の八つ棟造り。
境内には真田信繁(真田幸村)が真田屋敷に落ちた雷を井戸に封じたという雷封じの井、真田昌幸の墓碑と伝わる墓石、真田信繁(真田幸村)の供養碑、真田家の宝物である毘沙門天と真田3代の御霊を合祀した真田地主大権現などがあります。

「真田宝物資料館」では、真田信繁(真田幸村)が考案した真田紐や書状などを展示。

5月7日が真田信繁(真田幸村)の命日であることからGWの5月5日に開催される『紀州九度山 真田まつり』で、武者行列のゴールは、真田庵(善名称院)になっています。

近くには真田の抜け穴という伝承の穴もありますが、実は古墳であることが判明。
九度山町には、真田昌幸・真田信繁(真田幸村)・真田大助の真田3代を紹介する「九度山・真田ミュージアム」も建っているので、あわせて見学を。

画像協力/(公社)和歌山県観光連盟

真田庵(善名称院)
名称 真田庵(善名称院)/さなだあん(ぜんみょうしょういん)
所在地 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
関連HP 九度山町公式ホームページ
電車・バスで 南海高野線九度山駅から徒歩10分
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約38km
駐車場 なし
問い合わせ 真田庵(善名称院) TEL:0736-54-2218
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
真田の抜け穴(真田古墳)

真田の抜け穴(真田古墳)

和歌山県伊都郡九度山町、真田昌幸・真田信繁(真田幸村)父子の屋敷跡に建てられた寺という真田庵(善名称院)の東180mに「真田の抜け穴」と伝承される岩窟がありますが、昭和28年の発掘調査で横穴式石室を持つ円墳であることが判明、これが真田古墳で

真田庵・真田昌幸墓所

真田庵・真田昌幸墓所

和歌山県伊都郡九度山町、真田昌幸・真田信繁(真田幸村)父子の屋敷跡に建てられた寺という真田庵(善名称院)の境内にあるのが真田昌幸墓所。真田幸昌は関ヶ原合戦後、長男の真田信繁(真田幸村)とともに九度山に幽閉され、この地で没しています。真田昌幸

九度山・真田ミュージアム

九度山・真田ミュージアム

和歌山県伊都郡九度山町にある真田昌幸・真田信繁(真田幸村)・真田大助の真田3代を紹介する歴史博物館が、九度山・真田ミュージアム。九度山は関ヶ原合戦後、真田昌幸・真田信繁(真田幸村)が蟄居させられた場所で、真田一族の苦難の歴史を紹介しています

 

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