友ヶ島灯台

友ヶ島灯台

和歌山県和歌山市の加太沖、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島。瀬戸内海国立公園に指定される沖ノ島の西端、淡路島との間にある友ヶ島水道にある灯台で、慶応3年(1867年)4月、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した5灯台のひとつ。

兵庫(神戸港)の開港に備え、大阪条約で建設が決定

友ヶ島灯台

兵庫(神戸港)の開港に備え、瀬戸内海に入る紀伊水道の安全を確保するため、灯台が設置されたもので、日本で8番目に竣工した石造りの西洋式灯台。

建設は、明治維新とともに新政府に引き継がれ、明治3年5月、英国人技師で「日本の灯台の父」といわれるリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)が着工。
明治5年6月27日(1872年8月1日)に初点灯しています。
当初はイギリス製の3等不動レンズを使用し、石油ランプが灯されていました。
総工費は、当時の金額で2万2964円、現在の金額にすると3億円ほど。

明治23年に紀淡海峡を守る由良要塞第一砲台建設のため、東に25m移設され、昭和27年に自家発電に切り替わっています。

塔高(地上〜塔頂)12.2m、灯火標高(平均海面〜灯火)60.0m、光達距離は20.5海里(38km)で、毎10秒に白1閃光赤1閃光。

友ヶ島灯台
海上から眺めた友ヶ島灯台、断崖の上に建っています

ブラントン設計の灯台は国の登録有形文化財、近代化産業遺産に

友ヶ島灯台
紀淡海峡越しに淡路島を眺望

昭和20年3月のアメリカ軍機の襲撃により被害を受けましたが、昭和20年8月16日には仮復旧。
ブラントン設計の灯台がそのまま現存し、灯塔に、同心半円形の附属舎を設け、灯室頂部は鉄板でドーム状となっています。
友ケ島灯台では、気象観測も実施され、「和歌山海上保安部沿岸域情報提供システム(MICS)」で風向、風速が情報提供されています。

灯台としては、和歌山県では初の国の登録有形文化財。
Aランクの保存灯台で、経済産業省の近代産業遺産にも認定。
灯台で近代産業遺産に認定されるのは、犬吠埼灯台、観音埼灯台、清水灯台、経ヶ岬灯台、友ヶ島灯台、出雲日御碕灯台、角島灯台、室戸岬灯台の9灯台です。

参観灯台ではありませんが、例年、春と秋の2回、一般公開されています(詳細は和歌山海上保安部へ確認を)。
灯台横の広場は、日本標準時子午線(東経135度)が通る日本最南端の地。

ちなみに大坂約定(大坂条約)で、幕府が設置を約束して、建設された灯台は、下関内外=部埼灯台(北九州市門司区)、下関内外=六連島灯台(むつれしまとうだい/山口県下関市)、明石=江埼灯台(兵庫県淡路市)、兵庫=和田岬灯台(神戸市/須磨海浜公園に移設保存)、由良=友ヶ島灯台(和歌山市)の5ヶ所。

友ヶ島灯台
灯塔に、同心半円形の附属舎が付くというスタイル
友ヶ島灯台
名称友ヶ島灯台/ともがしまとうだい
Tomogashima Lighthouse
所在地和歌山県和歌山市加太沖ノ島
関連HP和歌山市観光協会公式ホームページ
電車・バスで南海加太線加太駅から徒歩20分で加太港、加太港から友ヶ島船着場まで、定期船20分。
友ヶ島船着場から友ケ島灯台まで徒歩20分
ドライブで阪和自動車道泉南ICから約26kmで加太港、加太港から友ヶ島船着場まで、定期船20分。
友ヶ島船着場から友ケ島灯台まで徒歩20分
駐車場加太漁港駐車場(200台/清掃協力金として有料)
問い合わせ和歌山市観光協会 TEL:073-433-811/FAX:073-433-8555
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
保存灯台Aランク 近畿

海上保安庁の保存灯台Aランク 近畿4灯台

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