和合の念仏踊り|長野県阿南町

念仏踊り(ねんぶつおどり)は、念仏を唱えながら踊る日本の伝統芸。阿南町の中で、最も深山幽谷の趣深い場所に位置する和合(わごう)地区に伝承される念仏踊り。平成26年3月10日に国の重要無形民俗文化財に指定されています。熊野社、林松寺、そして村の旧家である宮下家が会場です。

庭入り、念仏、和讃の3つから成り立つ

伝承では、寛保2年(1742年)、宮下家15代・宮下金吾善衡(後の雷公五郎助)が江戸幕府へ免訴願いに出た帰り道に、川中島(現在の長野市)で習い覚えて村人に伝えたのだとか。宮下金吾善衡は念仏踊りが行なわれる林松寺に祠堂(しどう)を寄付しています。
和合の総本家である宮下家の出身の地は遠州で、遠州・浜松には有名な遠州大念仏が伝わっています。踊りの形は遠州の大念仏とよく似ていることから、遠州から伝わったと考えるのが妥当かもしれません。

8月13日夜8時、念仏踊りに参加する人たちは、林松寺から熊野社へ向かいます。
熊野社境内で「庭入りの踊り」が行なわれた後、本殿前で念仏、続いて和讃を唱えます。これが終わると宮下家へ向かい、宮下家の庭で「庭入りの踊り」と念仏の後、庭ほめの和讃を唱えます。このあと一行は林松寺へ引き返して「庭入りの踊り」を行ないます。
8月14日・15日は、林松寺で「庭入りの踊り」・念仏・和讃を実施。
8月16日は、13日と同じ行程で「庭入りの踊り」を行ない、林松寺での「庭入りの踊り」の後、太鼓など道具を納めると、盆踊りが始まります。

和合の念仏踊りには燈籠や旗を持って先導する人、太鼓、鉦鼓(かね)、笛のほかヒッチキといって棒やささらを持って舞う役、ヤッコといってカヤをつけた長い竹を回しながら踊る役、花、柳といった飾り物を持つ役などがあります。

踊りゆったりと厳かに始まり、次第に激しさを増していきます。
ヤッコが長い竹先に付いたチガヤをぐるぐる回し、6〜7人者が太鼓を打ち、鉦鼓(かね)を鳴らし、ヒッチキをザラザラとさせながら裸足で飛び跳ます。ここまでの次第が「庭入り」。
かん高い音に、ほとしるエネルギーが重なり、見る者を圧倒します。太鼓もヤッコもヒッチキも笛に合わせ、踊りスピードやテンポ笛がすべて拍子をとります。そしてその笛を奏でるのは意外にも幼い子どもたちです。

続く「念仏」では、古老の唱える念仏に合わせて太鼓は静かな音を刻みます。
「和讃」では、太鼓役が足を揃え、膝を屈伸させながら左右に体を振りつつ音頭取りの和讃を復唱し、一節が終わる度に太鼓を打ちます。

保存会によれば、「庭入りは農業の所作を表しており農作願いや農作の祝いを奉納する意味がある」のだとか。「念仏」「和讃」は先祖供養や新盆供養などの意味が込められています。

和合の念仏踊り|阿南町
開催日時 8月13日〜8月16日20:00〜22:00
所在地 長野県下伊那郡阿南町和合
場所 林松寺、宮下家、熊野社
ドライブで 三遠南信自動車道飯喬道路天竜峡ICから約30km
問い合わせ 阿南町振興課農業商工係 TEL:0260-22-4055
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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