山口県萩市堀内、堀内体育館近くにある毛利家墓所のひとつが、萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)。豊臣政権の五大老のひとり、毛利輝元とその妻・南の大方(清光院)、殉死した長井次郎左衛門が眠っています。毛利輝元の菩提寺、天樹院は廃寺になっています。国の史跡。
長州藩の藩祖、毛利輝元の墓があり、見学可能
ここにはかつて毛利輝元の隠居所「四本松邸」があった場所で、毛利輝元の死後、その跡地に菩提寺の天樹院(天樹院は毛利輝元の法号)が建てられていました。萩藩の後ろ盾を失い、徹底した廃仏毀釈で明治2年には廃寺となったため、墓所のみが現存。
旧天樹院墓所は史跡としては萩藩主毛利家墓所になっていますが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で、大坂城西の丸に布陣したため西軍の総帥とみなされ、7ヶ国を削られ周防・長門両国36万9000石に減封。
薙髪して隠居し、家督を6歳の毛利秀就(もうりひでなり)に譲り、寛永9年(1604年)、築城中の萩城に移り、寛永2年(1625年)、萩城内で死没。
つまり、毛利輝元は、形の上では藩主になっていませんが(萩藩初代藩主は毛利秀就)、萩藩(長州藩)の藩祖ということに(一般的に長州藩と呼ばれる萩藩は、幕末に山口城に移すまでまで萩城が藩庁)。
玄武岩製の玉垣に囲まれ、竹林のなかに建つ墓所には、花崗岩製の五輪塔形の墓が並んでいます。
毛利輝元のものは、高さ2.1m、夫人のものは1.8mといずれも大型。
長さ64mの参道には鳥居、石燈籠、そして入口の唐門などが配されています。
萩藩初代藩主・毛利秀就以下、2代〜12代までの偶数代の7藩主と夫人および一族と毛利秀就に殉死した7藩士の墓、合計52基は大照院墓所(萩市椿青海)に、3代藩主・毛利吉就から11代までの奇数代の5藩主と夫人および一族(子、孫、側室、侍女ら)、関係者の墓40基は東光寺墓所(萩市椿東)にあります。
13代・毛利敬親と夫人、さらに毛利家歴代諸霊の墓計7基と初代・毛利秀就の母・周慶寺殿の墓は、香山墓所(山口市香山町・香山公園内)です。
萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所) | |
名称 | 萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所) /はぎはんしゅもうりけぼしょ(きゅうてんじゅいんぼしょ) |
所在地 | 山口県萩市堀内 |
関連HP | 萩市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで33分、天樹院入口・萩夏みかん工房前下車、徒歩すぐ |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約46km |
駐車場 | 指月第一駐車場(51台/無料) |
問い合わせ | 萩市観光課 TEL:0838-25-3139 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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