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赤間神宮

関門海峡を見下ろす高台に建つ赤間神宮。1185(文治元)年の壇之浦の戦で敗れて入水した安徳天皇を祀る神社です。もとは阿弥陀寺という寺で、1191(建久2)年、勅命で安徳天皇の御陵に御影堂が建立されたため、安徳天皇御影堂と呼ばれました。明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、天皇社となり、明治8年、赤間神宮となっています。

源平合戦悲劇の幼帝、安徳天皇を祀る

1185(文治元)年、壇ノ浦の戦いで入水した幼帝・安徳天皇の遺体は発見されませんでしたが、勅命により御影堂が建立され、阿弥陀寺として江戸時代まで続きました。
安徳天皇の墓も、明治22年、安徳天皇社の境内が安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)と認定されています。

境内には朱塗りで竜宮城を模した水天門、安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門を祀る七盛塚(平有盛ら14名の供養塔)、小泉八雲の『怪談』で知られる「耳なし芳一」の木像を祀る芳一堂などがあります。

また宝物館には『長門本平家物語』(国の重要文化財)、『源平合戦図』など貴重な史料を収蔵。

毎年5月2日~4日、安徳天皇をしのぶ『先帝祭』が行なわれ、とくに3日の太夫、女官、稚児らによる上臈参拝(じょうろうさんぱい)が豪華絢爛。

赤間神宮のおもな年中行事

1月1日/歳旦祭・初詣=1年の平安を祈念する祭礼
3月上旬/平家雛流神事
5月2日〜4日/先帝祭=安徳天皇の命日。2日平家一門追悼祭、3日上臈参拝、4日先帝祭御神幸祭
6月30日/夏越の大祓式=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢を祓います
7月15日/耳なし芳一祭=芳一堂で琵琶奉納演奏
10月中旬/うに供養祭
10月7日/秋季例大祭・関門海峡祭
12月10日/しめなわ祭
12月31日/年越しの大祓式・除夜祭=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢を祓います

悲劇の幼帝、安徳天皇

壇之浦の戦で敗れ、寿永4年3月24日(1185年4月25日)に入水した安徳天皇。数え年3歳(満1歳4ヶ月)で即位、そして数え年8歳(満6歳4ヶ月)で没。
1183(寿永2)年、源義仲の入京に伴い、平宗盛らに連れられ、三種の神器とともに都落ち。
屋島に行宮(あんぐう)を置きますが、平家は一ノ谷の戦いと屋島の戦いに敗北。ついに壇之浦の戦まで追い詰められます。
祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、壇之浦の早瀬に身を投じます。
母の建礼門院(平徳子)は、生き延びて大原寂光院に隠棲。

赤間神宮
名称赤間神宮/あかまじんぐう
所在地山口県下関市阿弥陀寺町4-1
関連HP下関市公式ホームページ
電車・バスでJR下関駅からサンデン交通バス山陽方面行きで10分、赤間神宮前下車
ドライブで中国自動車道下関ICから約3.6km
駐車場20台/無料
問い合わせ赤間神宮 TEL:083-231-4138
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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赤間神宮『耳なし芳一まつり』|下関市

毎年7月15日18:00~、山口県下関市の赤間神宮で『耳なし芳一まつり』(『耳なし芳一琵琶供養祭』)が行なわれます。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)著『怪談』のなかで紹介されている有名な平家伝説の『耳なし芳一』を弔う祭礼。芳一堂、七盛塚で墓

安徳天皇阿弥陀寺陵

源平の最終決戦となった壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、数え年8歳だった安徳天皇(平清盛の孫)は入水して命を絶ちます。赤間神宮の水天門は、入水した安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられており、隣接して安徳天皇

赤間神宮・芳一堂

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