山形県鶴岡市羽黒町、明治維新後の旧庄内藩士3000人による松ヶ岡開墾事業の本陣(管理事務所)となった建物が松ヶ岡本陣。松ヶ岡本陣は、元和8年(1622年)、庄内藩(荘内藩)3代藩主・酒井忠勝が、鶴岡城整備の際に建てた、「高畑御殿」(仮殿)の1棟で、開墾が始まる明治5年に移築しています。
旧庄内藩の士族授産政策の中枢的な存在
明治元年、戊辰戦争に敗れた庄内藩ですが、政府軍・西郷隆盛らの配慮で異例ともいえる寛大な処置となり、明治2年大泉藩と改称し(明治4年の廃藩置県で大泉県に)、家老・菅実秀(すげさねひで)は、藩内の生糸を生産・輸出する大きな藩営事業(士族授産政策)を企図。
蚕が食す桑木の栽培を目的として松ヶ岡の地の開墾事業を行なったのです。
松ヶ岡の名は、開墾地を訪れた9代藩主・酒井忠発(さかいただあき)が、「松ヶ岡」と自筆した木札を立てたことに由来。
松ヶ岡本陣は、旧藩士3000名を動員し、明治5年に始められた松ヶ岡開墾事業の際、管理事務所としての役割を担った建物です。
明治7年、311haに及ぶ大桑園が完成し、明治8年~明治10年には大蚕室10棟が建設されています(そのうち5棟が現存し、松ヶ岡開墾記念館などになっています)。
松ヶ岡本陣は、茅葺き檜造り、平屋建て。
藩政時代には鶴岡・高畑(鶴岡市上畑町)にあり、鶴岡城完成後は、庄内藩主が江戸往復の際に利用する「御茶屋」、「藤島本陣」と称した休憩所として使われていました。
館内には民具や農具を展示し、明治初期の「節義廉恥」(せつぎれんち/節義=行なうことが正しく筋道に叶っていること、廉恥=心清くして恥を知ること、西郷隆盛の遺訓にもなっています)を旨とした旧庄内藩士の開墾の歴史を紹介しています。
松ヶ岡本陣は、松ヶ岡開墾場、松ヶ岡蚕室群などとともに、日本遺産「サムライゆかりのシルク〜日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡」の構成資産にもなっています。
松ヶ岡本陣 | |
名称 | 松ヶ岡本陣/まつがおかほんじん |
所在地 | 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡29 |
関連HP | 松ヶ岡開墾記念館公式ホームページ |
電車・バスで | JR鶴岡駅から庄内交通バス今野行きで25分、南松ヶ岡下車、徒歩10分 |
ドライブで | 山形自動車道鶴岡ICから約12.3km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 松ヶ岡本陣 TEL:0235-62-2173 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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